私の住む日野市旭ヶ丘は日野台地の最上層にあり、人的な営みの歴史は古くないせいか、隣町の多摩平を含めても神社はほとんどありません。
 一方、川沿いやハケ下は古から人々の営みがあったためでしょう。神社が多く残されています。
このページは、愛犬との散歩時に見つけた、市内の浅川以北の神社巡りの結果です。

 日野台地は、北側の多摩川や中央部の淺川による河岸段丘です。特に浅川による河岸段丘は数段から構成されており、このページでは、以下と定義しています。
  ・ハケ上 豊田駅付近では、駅の北口側面(下の地図や表では、
  ・ハケ中 豊田駅付近では、駅の南口側面(下の地図や表では、
  ・ハケ下 市立中央図書館付近での、図書館下の最下層面
 なぜ、こんな定義をしているかというと、ハケと神社の分布およびその神社の種類は、関係があると感じているからです。  (私説は、こちらを)。
近いうちに、ハケ面での分布図を示したいと思います。

 本ページで取り上げている神社は、屋敷紙(宅内祠)は除いており、公道(それに類似する道路)に面しているものを対象としています。
また、下表のグレイの網掛け行は「淺川以南」で、対象外としているものです。旭が丘からは遠く、愛犬との散歩の範囲を若干超えますが、近いうちには巡ってみたいと考えます。

 
最終更新日 2017-07-24


  稲荷神社
  日枝神社
  八幡神社
 黒枠に黄色 その他



浅川以北の神社一覧
住所 名称
【篇額名】
所在地 写真 撮影日 補足・備考
旭ヶ丘2丁目43 (名称不明)
【篇額なし】
ハケ上 2014.09.13  一般民家の片隅にあるのですが、市道に面して解放されています。赤鳥居であることから、稲荷神社と思われます。
 知る限り、ハケ上にある神社としてはもっとも内側に位置しています。
 お稲荷さんですので、少し北にある高倉稲荷神社(八王子市高倉町、享保3年(1719)年に高倉新田の鎮守として創建)に関係があるのかもしれません。
旭ヶ丘1丁目24 (名称不明)
【篇額なし】
ハケ上 2015.07.23  一般民家の片隅にあるのですが、こちらも市道に面して解放されています。赤社で、中に狐さんの置物があることから、稲荷神社と思われます。
 ハケが始まるギリギリのところに佇んでいます。
新井 淺川以南
石田1丁目1
とうかん森
とうかん森稲荷
【篇額なし】
ハケ下 2014.10.19  浅川近くにある、とうかん森(稲荷森)のお稲荷さん。
土方家が氏子のお稲荷さんで、歳三の生家もこの近くにあり、のちに現在地へ引っ越ししたとのこと。
 神社向いの土方さん宅にも、赤い鳥居と祠がありました。そういえば、歳三記念館にも、宅内祠がありますね。お稲荷さんでしょうか?
石田2丁目11 石明神社
【石明神社】
ハケ下 2013.09.22  浅川近くにたたずむ社殿。きれいです。
 平成15年の町名変更までは新井146番であったとのことで、旧新井村の鎮守さまだったようです。
 境内の参道に、大正8年と銘ある石(参道石)があります。
石田2丁目11 不明
【なし】
ハケ下 2014.10.19  石明神社境内の祠。
大坂上2丁目 伏見稲荷神社
【伏見稲荷大明神】
ハケ上 2013.09.22  大坂上三丁目交差点すぐの駐車場にある社。今の「大坂上通り」は古くから八王子への街道だったことから、もしかしたらその時代から鎮座しているのかもしれません。
落川649 神明社 淺川以南
落川1108 大宮神社 淺川以南
上田480 北野神社
【○蒲宮】
ハケ下 2014.09.23  国道20号(旧 日野バイパス)から入ったところに、ひっそりとたたずむ社殿。お彼岸では、境内に彼岸花が咲いていました。
 明治18年(1885)に、上田村の鎮守神になっているとのことです。

  付近の個人住宅内には小さな祠が見られます。
川辺堀の内594 日枝神社
【篇額なし】
ハケ下 2014.01.02
2013.09.22
 浅川沿いの森の中たたずむ社殿。建立は、江戸時代初期とのこと。
 社殿の背後にそびえるムクの木は樹齢300年以上とされ、日野市の天然記念物に指定されています。
栄町2丁目17 日野宮神社
【日野宮】
ハケ下 2014.09.23  都道169号から北へ入った都営アパートに囲まれたところにたたずむ社殿。鳥居から拝殿までは、立派な参道があります。合祀も、中野原稲荷、御嶽、榛名、阿夫利、秋葉と多いです。
 ここは、「日野」という地名の由来説の一つ、「西党日奉氏が守護社として日野宮神社を構えた」という日野宮説の本拠地。祭神には、日奉宗頼(ひまつりよりむね)、日奉宗忠(ひまつりむねただ)も。

 付近は、個人住宅内に小さな祠があるのが多く見られます。
栄町5丁目15 稲荷神社
【?】
ハケ下  昭文社の地図には「奥住稲荷」と掲載されていますが、どうも御宅の中に鎮座しているようなので、写真掲載は控えます。  赤鳥居は、通りから見えます。
栄町5丁目19 神明社
【篇額なし】
ハケ途中 2014.09.20  都道169号から南東に入ったところに、社殿はひっそりとたたずんでいます。
 鳥居はハケ下にあり、拝殿はハケの途中に設けられています。
さくら町  町全体が元小西六の工場で、神社があるか不明です。
新町1丁目10 姫宮権現
【篇額なし】
ハケ下 2014.09.27  姫森児童遊園にある小さな祠です。姫宮と称されるこの森は西党日奉氏の日奉宗頼を奉る日野宮神社から南へ400mほどに位置し、日奉宗頼の妻を奉ったものとされているようです。
 日野江戸期末期には祠しかのこっていなかったようですが、以前には社もあったことが伝えられているとのこと。
新町4丁目19 金比羅神社
【金比羅宮】
ハケ下 2014.07.14
2014.05.18
 七つ塚の1つとされている土盛りの上に建てられています。
 ここからは、富士山を眺めることができます。
神明4丁目11 神明社
【神明社】
ハケ途中 2014.05.11  日野台地の東側のハケ途中に鎮座する社で、神明の町名の由来とされています。
 元亀元(1570)年に谷伊予という人が、伊勢神宮を勧請して今の地に建てたとのことです。
高幡352 若宮愛宕神社 淺川以南
高幡 下田稲荷神社 淺川以南
多摩平1丁目14 ハケ上 2015.05.23  豊田七森。
 更に時代を遡れば、多摩平一丁目にある「大六天公園」が、その小字名からの命名と市の案内板にあります。
「第六天神社」とも称される神社は、明治維新期までは関東に多くあったとされています。その1つがハケ上の地にもあったことは、この付近には人の営みがあったということなのでしょう。
豊田2丁目49 八幡神社
【八幡宮】
ハケ中 2011.09.24
2014.06.01
 豊田七森。
 市立中央図書館裏にある神社。鳥居はハケ下、拝殿はハケ中にあります。元々は中央図書館の位置にあり、図書館建設時に今のところに遷座したとのことです。
 鳥居から左に入れば、湧水地(中央図書館裏湧水、東京の湧水百選)があります。
豊田2丁目49 稲荷神社?
【篇額なし】
ハケ中 2014.09.23  市立中央図書館近くのレオパレス敷地内にある小さな祠。祠が赤いことから、稲荷神社でしょうか?
 2010年2月撮影のGoogleストリートビューでは、レオパレスになる前の様子が見られますが、そこには祠は見えないです。元のお宅の中にあったものを遷座したものでしょうか?
豊田2丁目50 織姫神社?
【織姫神社】
ハケ下 −(対象外) 2014.09.23  NBCメッシュテック社さんの本社敷地内にあり、本来ならここにとりあげる対象外なのですが、図書館裏の市道から見ることができるので、含めさせてもらいました。
豊田4丁目9 白髭神社?
【篇額なし】
ハケ中 2014.09.23  豊田七森。
 市立とよだ保育園の敷地内になっていて、その囲いの中ですが、市道から祠が見えるのでここに取り上げました。鳥居はありません。
 昭和36(1961)年に若宮神社に合祀されており、跡地に祠が残っている状況のようです。
豊田4丁目11 天満宮跡 ハケ中 2016.07.18  平成5年に、若宮神社に合祀されました。
豊田4丁目46 ハケ中
2014.07.16
2015.06.20
 豊田七森。
 今は多摩平に神社は見られませんが、昭和36年発行の国土地理院の1/5万地図(昭和32年現地調査)には、神社があったことが分かります。
 ハケ中にある山王下公園や現「イオンモール多摩平の森」の地の発掘遺跡が「山王上遺跡」と称されていることからも分かるように、山王社すなわち日枝神社でした。
 この日枝神社は、付近の開発に伴い、昭和40年に若宮神社に合祀されています。
その合祀記念碑では、「今の多摩平2丁目14-25」とあり、山王下公園の由来看板からも、同公園北側すぐのハケ裾にあったようです。今の階段の名残りは、草の陰に見るみることができます。
西平山1丁目23 八幡神社
【八幡神社】
ハケ中 2013.06.02
2014.05.04
 鳥居はハケ下、拝殿はハケ中にあります。
 言い伝えでは、文治年間(1185〜1190)、平山を領した平山季重が、鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したとあり、また文明10年(1478)創建との伝承があるとも云われています。
、  天正18(1590)年、関東へ入国した徳川家康がこの八幡神社の由来を聞き、軍配団扇・袱紗・絹本墨書至道無難墨蹟偈語を寄進しており、社領8石7斗の御朱印状も出しています。家康からの拝領品三点は、「八幡神社社宝(一括3点)」として日野市指定有形文化財になっています。

 付近は古くから営みがあったのでしょう。個人住宅内には小さな祠があるのが多く見られます。
西平山1丁目23 弁財天
【弁天宮】
ハケ下 2013.06.02  八幡神社鳥居の隣に鎮座しています。
西平山4丁目28 不明
【なし】
ハケ下 2011.12.31  中央線の南側にある祠です。
大正期の地図ではこのあたりに神社があり、昭和36年発行の国土地理院の1/5万地図(昭和32年現地調査)でも見えるので、その名残ではないかと思われますが、詳細不明です。
西平山5丁目53 日枝神社
【山王社】
ハケ下 2014.09.13  大和田地区センター脇に鎮座しています。ハケ下と分類しましたが、ハケ下とハケ中の中間に位置しているかもしれません。
 拝殿の脇には板碑も保存されていますが、詳細不明です。
東豊田1丁目51 遠藤和泉守権現
【篇額なし】
ハケ中 2014.11.02 (日野市郷土史ライブラリーなどより)
 昔、遠江の国の出身で遠藤和泉守義久という人が、高倉新田に住んでいました。
 ある時、豊田村と川辺堀之内村とが境界を争い、和泉守義久は豊田村のために、豊田村が広くなるように境界の桜炭をずらしたというのです。それが発覚して、和泉守は川辺堀之内村に捕えられ、ハリツケに処せられて、豊田村のための犠牲者となりました。
 この和泉守義久のために築かれたのが、現在の多摩平の和泉塚(泉塚)であると伝えられています。和泉守を一度は逃がしてくれた人があったそうですが、エンドウ畑に逃げこんでその豆づるに足をとられて捕えられたというので、それ以来遠藤家ではエンドウ豆を栽培しないこと、そして食べないこととなったといわれます。  さらに和泉守のハリツケに松がつかわれたので、遠藤家では正月の松かざりはしないこと、庭に松を植えないことになっているそうです。
 大仏さん(善生寺)の近くに小祠が建立され、毎年4月に「遠藤祭り」といって、一族があつまり、祖先の冥福を祈っています。
東豊田2丁目32 若宮神社?
【若宮神社】
ハケ中 2014.01.02
2013.07.28
 鳥居はハケ下、拝殿はハケ中にあります。
 地頭の大久保勘三郎による慶安5年(1652)の創建と云われていますが、その前からあったようで、歴史は長いようです。また、合祀も多く、昭和36年に前述の白鬚神社を、昭和40年に豊田駅付近にあった日枝神社を、昭和47年には八幡神社を、平成5年に天満神社を合祀しており、境内にその記念碑があります。
それらから、旧鎮座所は以下になっています。
  ・日枝神社 (明治初年)武蔵野国南多摩郡豊田村梶山1645番地(現在の日野市多摩平二丁目十四番地の二十五号)
  ・天満神社 (嘉永四年)武蔵野国多摩郡由井領豊田村(現在の日野市豊田四丁目十一番地の七号)
東豊田2丁目32
【篇額なし】
ハケ中 2013.07.28  若宮神社境内社。
東平山1丁目4
【なし】
ハケ中〜ハケ下  私が歩いた限り、現時点では東平山に神社を見つけ出せていませんが、古墳とされる地点に建つ小さな祠は神社なのかもしれません。
 場所は、平山橋の信号を西に入って200mちょいのあたりです。
日野台3丁目 首塚稲荷神社?
【篇額なし】
ハケ上 2014.10.19  日野第三小学校向いに鎮座する祠です。
 『日野の歴史と文化 第17号』では、昔一人の遊行僧が旅で訪れたところ、日野原が荒れ果てていたので、この地を治めている者の力が足りないのだといいふらした。これを聞いた役人が怒ってその坊さんの首を一刀のもとに切り落としてしまった。ところがその坊さんは首を切られてもなお代官所へ向って歩き出したがまもなく倒れて死んだという。役人や村人は坊さんのたたりをおそれて坊さんの遺骸を埋めて塚を作り、首塚としてねんごろに葬った。それが首塚であるとのこと。
 土淵英夫氏の『八坂の森から』(1998年5月)にある「首塚稲荷、日野台」は、ここのことだと思われます。
日野台4丁目17 三本杉稲荷神社?
【三本杉稲荷大明神】
ハケ上 2014.08.03  日野台公園に隣接し、日野台地区センター脇に鎮座しています。
 夏の季節では、赤い鳥居に桃色のサルスベリの花が映えて綺麗です。
日野本町3丁目14 八坂神社
【八坂社】
ハケ下 2014.02.01
2014.09.27
 甲州街道(旧 国道20号)に面する、日野の総鎮守です。
 応永5(1398)年の多摩川洪水の時、川の淵から拾い上げられた牛頭天王像を勧請して祠を建てたのが八坂神社の始まりとされており、応永5(1398)年、普門寺(日野本町7丁目5)の開基により、牛頭天王社を管理するようになったとのこと。
 元亀元年(1570)、普門寺の移転と甲州街道の道筋が定められたことから、現在地に遷座たようで、440年以上も同じ地にあるのは素晴らしいの一言。
 奉納されている額の中には、安政5(1858)年の剣術額があり、日野宿の剣士たち23名と近藤(嶋崎)勇、客分として沖田(惣次郎)総司の名も見えます。
日野本町3丁目14 八幡社
【篇額なし】
ハケ下 2014.09.27  八坂神社境内にある八幡社。
日野本町3丁目14 山王社
【篇額なし】
ハケ下 2014.09.27  八坂神社境内にある山王社。
日野本町3丁目5 飯綱神社
【飯綱大権現】
ハケ途中 2014.09.23  坂下地蔵のお隣に鎮座しています。昔は近くの丘上にあり、明治21年の甲武鉄道建設時に現在地に遷座したとのこと。
 鳥居をくぐり階段を上って拝殿に対すると、日野駅ホームにいる中央線電車が拝殿越しに見えます。また、拝殿横に、合祀されているらしい小さな祠がありますが、詳細不明です。
日野本町7丁目1
【篇額なし】
ハケ下 2014.09.27  「人形の鈴藤」さんの、用水向いに鎮座する小さな祠。
 甲州街道から一本北に入ったこの通りでは、多くの個人住宅内祠(ほとんどがお稲荷さん)を見かけることができます。
日野 ハケ下 2014.09.27  塚?と思われるようなところに鎮座しています。
 場所は、多摩モノレールと新川崎街道のぶつかるところから、一本南に入った通り沿い。Googleストリートビューでも見ることができます。
平山6丁目5 季重神社 淺川以南
富士町  富士電機敷地に、神社はない模様です。
程久保6丁目 秋葉大権現 淺川以南
程久保445 神明社 淺川以南
宮48 金山神社
【金山神社】
ハケ下 2014.08.16  田んぼに囲まれた中、コンクリートで固められた敷地に、ポツンと鎮座されています。鳥居なし。
 ご祭神であろう金山彦神は、「鍛冶屋の神、金工職人の職神、金物商の神」とされているので、農鍛冶屋が近くに住んでいたのかもしれません。
 国道20号(旧 日野バイパス)の日野税務署西交差点から高幡方面(スシロー方面)を見ると、右手に見えます。
万願寺3丁目37 ハケ下 2014.09.27  大六天(第六天)神社の跡は、万願寺にも残されています。
万願寺3丁目39 稲荷神社
【稲荷神社】
ハケ下 2014.09.27  日野市立第一万願寺児童遊園内にある社。お向かいの御宅には、住宅内祠がありました。
万願寺3丁目47 別府神社
【別府社】
ハケ下 2014.08.16  所在地は平成16年の町名改正まで「宮」という地名で、その昔に宮村と上田村と土地争いがあり、宮村の地頭であった別府太郎が身をもってあたり、勝訴することができたので、里人はその霊を祀って社を建てたという云われと、  鎌倉時代末期の分倍河原の合戦の折、別府太郎という武士が敵に追われてこの近くで果て、長の夢枕に立ったことから、これを祀ったとも。
 国道20号(旧 日野バイパス)の日野税務署西交差点から北へ折れると、直ぐ左に見えます。
万願寺4丁目18 八幡大神社
【八幡大神社】
ハケ下 2014.08.16  暦応2(1339)年、武蔵七党の西党の流れをくむ田村駄二郎知実がこの地に住み、男山八幡宮を勧請して社穀を建立したという言い伝えがあるようです。
 万願寺中央公園の奥にあり、お隣の安養寺の別当とのことです。
万願寺4丁目18 不明
【篇額なし】
ハケ下 2014.10.14  八幡大神社境内の祠です。
万願寺4丁目18 不明
【篇額なし】
ハケ下 2014.10.14  八幡大神社境内の祠です。
三沢3丁目23 八幡神社 淺川以南
南平3丁目20 伏見稲荷神社 淺川以南
南平4丁目8 牛頭天王 淺川以南
南平8丁目11 熊野神社 淺川以南
百草867 八幡神社 淺川以南

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