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■ハケ上に神社少なく、「稲荷さん」だけ Wikipediaでは「日本の神社の内で稲荷神社は、2970社(主祭神として)、32000社(境内社・合祀など全ての分祀社)を数え、屋敷神として個人や企業などに祀られているものや、山野や路地の小祠まで入れると稲荷神を祀る社はさらに膨大な数にのぼる。」とあります。日野市内でも屋敷神(宅内祠)は、圧倒的に「お稲荷さん」です。 ただ、それらを除けば、市内で残っている稲荷神社は多くありません。浅川以北では、万願寺のお稲荷さんが大きく残っている少ない例です。ですが、私の知る限り、万願寺を除けば、残っている稲荷神社はハケ上にある4例なのです。そして、これらは、首塚稲荷を除けば、屋敷神の延長線の印象ですが、屋敷神の規模を超えているように見えます。 東から示せば、左図の■です。 ・大坂上2丁目の伏見稲荷 ・日野台の首塚稲荷 ・日野台の三本杉稲荷 ・旭が丘2丁目の稲荷 日野市外を見れば、八王子市高倉の甲州街道(旧国道20号)沿いに「高倉稲荷神社」、大和田の日枝神社(鳥居はハケ下、拝殿はハケ上)の境内には小さな稲荷神社もあります。 日野台地は近世以降に人の手が入り始めた地であり、高倉稲荷神社も享保3年(1719)年に高倉新田の鎮守として創建とのこと、永い歴史を持つものではありません。人の営みの歴史が浅い故に、ハケ上には神社が「少ないのでしょう。 というより民家自体がハ上には少なかったはずで、その少ない家で祀られてきた屋敷神が今に残されているように思えるのです。甲州街道沿いには、高倉神社のそばにも屋敷神としてのお稲荷さんが見られ、一里塚跡近くの日野台の一軒にも見られます。 それが農業の神の「お稲荷」さんなのは、ハケ上にふさわしい神様に思えるのです。稲荷神社が全国一の数を有するのも、日野台地と同じような経緯からではないかとも思ったりしています。 |
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■ハケ裾に「山王さん」 一方、歴史が長いハケ下には、日野市だけでも多くの神社がありますが、淺川側のハケの裾には「山王さん」、即ち「日枝神社」が多いように感じています。左図の■が日枝神社です。 市内では、 ・西平山5丁目の「山王さん」 ・昭和30年代まで豊田駅近くにあり、公園名に名を残す「山王さん」(若宮神社に合祀) ・八坂神社に合祀されている、北原の「山王さん」 ・八坂神社に合祀(土淵英夫氏の『八坂の森から』(1998年5月)より)とされている、下宿の「山王さん」 ・川辺堀之内の日枝神社(ハケ裾というには、ハケから離れているが) 市外では西に、 ・八王子市大和田4丁目(ムラウチ・ジョーシン近く)の日枝神社 ・同じ大和田の関根神社(日枝神社合祀) もあり、何か恣意的なものを感じずには居られません。 Wikipediaでは、「日枝神社は山王信仰に基づき比叡山麓の日吉大社より勧請を受けた神社の社号」とあり、「山王とは、日吉大社で祀られる神の別名であり、比叡山に鎮まる神を指したもの」とあります。 「山王さん」がハケ裾に集まっているのは、ハケを畏れ、山(この場合はハケ)に鎮まる何かを祀るもの、つまり、ハケから祟りが及ばないような結界的な意味があったのでは?、と思っています。 |
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■淺川側のハケ下は「八幡さま」も多い また、ハケ下部分には、「八幡さま」が多いです。 西平山1丁目の「八幡さん」、中央図書館裏の「八幡さん」、若宮神社に合祀されている?「八幡さん」、八坂神社合祀の八幡さん、万願寺の八幡大神社さんがそれに当たります。 これも、何か理由があるのでしょう。平山季重を代表とする関東武士など、何か理由・謂われがあるのかもしれません。 |
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