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昭和06年01月06日(1) | 耐寒演習の 偵察機十台 | 九日羅南へ空輸 | 厳寒の北鮮の野に行われる陸軍航空技術部の耐寒飛行演習;航空本部技術部より120名;八八式偵察機2台 |
昭和06年01月06日(2) | 立川機一斉 初飛行 | 民間機はけさ | 飛行第五連隊;各中隊一斉に初飛行;民間機は今日のはず |
昭和06年01月06日(3) | 立川から 六機参加 | 陸軍観兵式に | 陸軍始観兵式に行われる陸軍機の空中分列式;所沢飛行場に勢ぞろい;五連隊からは乙式一型六機 |
昭和06年01月06日(4) | 航空関係大官 視察出発 | | 所沢陸軍飛行学校の荒蒔中将;日本航空輸送の会社旅客機で、;立川を発ち平壌へ |
昭和06年01月06日(5) | 未曾有の難航 | 雪に悩んだ元日の定期空輸 お客大繁盛七十三名 | 日本航空輸送会社;遊覧飛行は元日二十名;三日七十三名;元日の上り便は雪により難航(小川操縦士) |
昭和06年01月09日 | 空の港の移転は立川によい試練 | ただ一途質の充実へ | 羽田飛行場の完成により、立川の東京国際飛行場は初夏に移転 |
昭和06年01月12日(1) | 湘南・空の旅 | 飛行学校の定期飛行 四月より週三回に | 日本飛行学校;東京ー伊東ー下田ー清水港間定期飛行;月、水、金の週三回に |
昭和06年01月12日(2) | 北海橇飛行に軍部側重視 | - | 飛行第五連隊;旭川にて第七師団との諸兵科連合演習と橇飛行;北海道に飛行連隊を設置するかせぬか |
昭和06年01月13日 | 耐寒飛行操縦士 | | 十一日;立川を出発 |
昭和06年01月29日 | 飛行機練習中の北村兼子さん | | 日本飛行学校;世間の冷眼視を尻目に |
昭和06年01月31日(1) | 民間定期飛行は 予想外の進境 | 羅南から帰った両少将談 | 陸軍航空本部航空技術部長福井少将と同総務部長毛内少将;旅客機で帰京 |
昭和06年01月31日(2) | 民間貿易商 | 九名往復飛行 | 日本航空輸送;中華民国シンガポールの貿易商・黄頻栄氏他8氏;午前と午後で立川・大阪を往復 |
昭和06年02月04日 | この前以上の 難航を覚悟 | けさの壮図を前に 富士越えの小川飛行士談 | 日本航空輸送会社;富士山頂への食糧投下冒険飛行;使用機はフォッカー三M(J-BBZO);小川飛行士;鈴木機関士 |
昭和06年02月08日(1) | 富士山頂食糧投下は 愈々けさ決行 | | 日本航空輸送空会社;富士山頂食糧投下 |
昭和06年02月08日(2) | 郵便物投下試験 落下傘は好成績 | 許可を待つ日本空輸 | 日本航空輸送会社;東京−大連線航路都市への郵便物投下試験;落下傘は時限落下傘 |
昭和06年02月17日 | ツツーと滑ってはドスンと釜大の穴 | 空の王者もスキーではヘボ 他愛もない在旭川の新中佐 | 飛行第五連隊の新中佐;旭川の第七師団練兵場;夕方になるとスキーの練習;乙式一型偵察機 |
昭和06年02月18日 | 旭川の耐寒飛行に立川機の大成功 | 旭川における立川機の活躍 | 飛行第五連隊の旭川耐寒飛行二日目の17日、第七師団と連合演習;檜村少尉操縦・大場特務曹長同乗の乙式一型偵察機378号機、高度3,000mで凍結することなく機関銃発射に成功 |
昭和06年02月20日(1) | エアー・ガール十名の 同乗飛行は来月一日頃 | 使用機は愛知式AB一型 | 東京航空輸送社;日本飛行学校;エアー・ガールの同乗飛行試験 |
昭和06年02月20日(2) | 壮観!雪中飛行 | 旭川における立川機の活躍 | 飛行第五連隊;旭川;乙式一型偵察機 |
昭和06年03月02日(1) | 春めき | 立川のエアーポート賑わう | 日本航空輸送会社;遊覧飛行に廿五名 |
昭和06年03月02日(2) | 新飛行中佐 | 旭川でスキー練習 | 飛行第五連隊;耐寒飛行の指揮官、新中佐;偕行社裏の春光台付近でスキー練習 |
昭和06年03月03日 | 今年最初の来訪外国機 | 仏国ムエンシュ氏の歓迎に立川飛行場早くも色めく | フランス、ムエンシュ氏;ファルマン単葉機(サルムソン230馬力);ビュルタンとメンシュ |
昭和06年03月17日(1) | 法大生練習開始 この十八日から | 六名中から一操縦士選定 | 法政大学の訪欧飛行の練習飛行 |
昭和06年03月17日(2) | 北村兼子さんが 一人前の操縦士 | 飛行時間累計十一時間余 | 日本飛行学校;北村兼子 |
昭和06年03月20日 | 訪日仏機を待つ 立川の歓迎準備 | 「富士」と「桜」色紙を贈る | 18日香港に到着の仏国訪日機;立川では小学校生徒に在郷軍人青年団らが出迎え;村田丹陵市記号の色紙を贈呈 |
昭和06年03月21日 | 久しぶり「仏国機」 | 廿三日ごろ飛来か | 京城に到着の仏国訪日機、既報のごとく問題を惹起したが、悪気ないことが判明;23日までに立川飛来か;3年前の昭和3年4月のコスト大尉以来の仏国機 |
昭和06年03月26日 | 仏機今日出発 | 多数飛行場で見送る | 仏国ビュルタン、メンシュ氏の帰還飛行;26日に立川を出発予定;25日に立川で試験飛行 |
昭和06年03月29日(1) | 立川へ航空気象班 | 新年度に昇格して独立 | 所沢陸軍飛行学校、昨年6月に研究部に航空気象班を設け、気象観測自記器をつけた甲式四型戦闘機を毎日午前6時、正午、午後3時に飛行させ、気温・風位・風速等を観測し天気予報も作成;新年度から陸軍航空本部直轄事業として独立昇格し、立川飛行研究部(陸軍航空本部技術部?)へ転属 |
昭和06年03月29日(2) | 兼子さんの単独飛行 | 四日に試験 | 日本飛行学校の北村兼子、4日に単独飛行試験;訪欧飛行の後援者・実業家福澤桃介氏、28日に日本飛行学校を訪問し、伏見教官と面談 |
昭和06年04月02日 | 国産飛行機 | 昨日披露飛行 | 中島飛行機製作所;国産スーパーの披露飛行、1日午後2時から |
昭和06年04月08日 | きのう立川に着いたユンカースK三七型機 | | (記事別面) |
昭和06年04月09日 | きのう立川の万能機性能試験 | | 陸軍航空本部技術部;古谷航空本部長;井上大将;渡辺台湾軍司令官;三菱の武田氏;リステック操縦士;シヘンメットラ氏 |
昭和06年04月10日(1) | タコマ市号を前に本家争いの両鳥人 | | アッシ;朴敬元;ショート;北村兼子 |
昭和06年04月10日(2) | 町田・大野の分会員活動 | 墜落機後始末に | 8日午後2時半に、町田在大野村字鶴間1373の農家・河部要次郎方裏の桑畑に、伊藤光義氏の戦闘機墜落;飛行第五連隊の加藤大尉以下50名が急行;地下6尺余に埋まった発動機を大野村及び町田の両分会員の応援で堀り、午後8時に整理を終えて引き上げ |
昭和06年04月10日(3) | 割引券を空から | 電化祝賀日に八市呉服商が | 19日開催の八王子、浅川の中央線電化祝賀会での祝賀飛行;八王子市の呉服苦笑組合で商品割引券を空から撒くことに決定;八王子電気館では半額入場券を撒くと |
昭和06年04月11日 | あす晴れの空中結婚 | 用意は万端 | 空中結婚;日本航空輸送会社の第一格納庫内で披露の宴;新郎岩崎鐐平君、新婦河口ひさこさん |
昭和06年04月12日(1) | 法政機 | 発動機検査 | 法政大学の訪欧機いよいよ完成;発動機検査;四日中に標識・記号・色彩を決定 |
昭和06年04月12日(2) | 各務ヶ原−立川間 四十五分 | 新鋭の戦闘機 性能公開飛行 | 川崎飛行機製作所;陸軍航空本部技術部で性能試験飛行を公開;各務ヶ原立川間を四十五分で翔破 |
昭和06年04月17日(1) | アッシュ大尉 きのう立川へ | | タコマ市号;アッシュ大尉;タコマ市号を簡単に整備;ショート氏は姿を見せず |
昭和06年04月17日(2) | 法政飛行士が訓練飛行 | | 法政大学では訪欧機の機体に塗る色と関係方面のマークが決定せず;試験飛行とまで運ばない;同型の石川島R三型機を借り受けて訓練飛行を開始 |
昭和06年05月02日 | 淋代空輸も近く けさ地上試験 | アッシュ氏の横断機 | アッシュ氏の太平洋横断飛行;タコマ市(改名パシフィック)号 |
昭和06年05月08日(2) | 床しい飛行場風景 | | 御国飛行学校の藤田練習生;アブロ機を操縦着陸の際誤って機首を地上に激突、転倒;藤田君は操縦席から投げ出されて;微傷も負わなかった;全民間鳥人達が総がかりで押して |
昭和06年05月08日 | 訪欧法政機 展墓飛行 | | 使用機完成;R三型機による野外訓練飛行;前学長松室致氏の青山墓地を空中からお参り |
昭和06年05月14日 | 法政訪欧機が けさ参宮飛行 | | 法政大学の訪欧飛行機;伊勢参宮飛行;羅針盤の修正 |
昭和06年05月15日 | きのう参宮飛行 | | 訪欧法政機と両飛行士;青年日本号 |
昭和06年05月17日 | 立川飛行場の見学者が多い | | 婦人の見学は特に多く、航空時代だと感心;サルムソンJ-BSIB;アブロ |
昭和06年05月19日(1) | 法政機の 訪欧準備 | 鄭氏が先発 | 学生航空連盟の副会長鄭審一氏は日本航空輸送会社の旅客機で西下;準備のため欧州に向かう |
昭和06年05月19日(2) | ア氏第二回の試験飛行 | | トーマス・アッッシュ氏;パシフィック号を操縦;第二回の試験飛行 |
昭和06年05月21日 | 賀陽若宮殿下飛行場御見学 | | 賀陽宮邦寿王殿下、20日午前9時、学習院初等科三年生のご学友達と立川飛行場をご見学;飛行第五連隊、日本航空輸送を参観 |
昭和06年05月22日 | ミス朴敬應 | サルムソンの単独飛行に成功 | 日本飛行学校;二等飛行士朴敬應嬢;サルムソンの単独飛行を行った;朴敬元 |
昭和06年05月24日 | 練習生の乗った 飛行機墜落 | 機首大破・搭乗者は無事 | 日本飛行学校の熊谷悌司君と助教官中村飛行士のアブロ機;J-B○○B |
昭和06年05月27日 | 河中へ墜ち | 両翼が吹っ飛んだ夢 あはれ正夢の市丸飛行士 | 御国飛行学校の市丸飛行士;両翼が吹っ飛んだ夢;J-BAPD |
昭和06年05月28日 | 下界は美しい | 公正会議員達の同乗飛行 | 貴族院公正会議員・千田男爵ら20名;27日立川飛行場で国産スーパー旅客機(小川・佐藤乗り組み)に試乗、三多摩の空を飛ぶ;下界の綺麗なのは想像外の感想 |
昭和06年05月29日(1) | けさたつ青年日本號 | 本社機や各大学機が 箱根まで見送飛行 | 熊川;栗村量飛行士;立川飛行場は私達の生みの親 |
昭和06年05月29日(2) | 訪欧「青年日本号」の首途 | | 栗村法政飛行士;熊川飛行士;花束;中島町長;町長令嬢とし子さん |
昭和06年05月30日 | 見送る立川小学生 | | きのうアッシュ機を |
昭和06年06月18日 | 船に乗った気持 | 死なばもとろもサ 将官連の飛行機乗組 | 全国陸軍将官段階の談話会会員72名;井上幾太郎大正の案内で、立川飛行場を見学;陸軍航空本部技術部で八八式、日本航空輸送で旅客機に試乗;曇天で遠くの眺望ならず |
昭和06年08月13日 | トラック六十台で 羽田へ引越し | 日本航空輸送が廿日から | 日本航空輸送会社;十六日の日曜より遊覧飛行を中止;一トン半の貨物自動車を一日十輌動かして六日間を要する;同社の引越しは卅三家族 |
昭和06年08月14日 | 立川飛行場が羽田へ引越し | | 日本航空輸送会社;廿日より移転開始;当日十台の貨物自動車で運搬を始めた |
昭和06年08月15日 | 大型機の離着陸は 今後も立川で行う | 羽田飛行場は狭くて駄目 格納庫は存置 | 東京国際飛行場;同社の立川飛行場にある大格納庫は存置 |
昭和06年08月16日 | 立川飛行場跡へ 中島製作所の誘致計画 | 中島立川町長らが極秘裏に奔走 | 当局国際飛行場の移転;中島飛行機製作所の誘致を計画;中島町長の談 |
昭和06年09月02日 | 滑走中故障を生じ 練習機追突す | 立川飛行場の珍しい事故 搭乗者四名は無事 | 日本飛行学校のアブロ機、J-BAMB;アンリヨ機;伏見飛行士談;中村飛行士談 |
昭和06年09月22日 | 太平洋横断飛行 廿六日頃出発か | ハーンドン、パングポーン両氏 タンクの増設急ぐ | 太平洋横断飛行を許可されたハーンドン;パングポーン両氏;エバンス氏の援助を受けて補助タンク増設に着手;早くて廿六日に立川から淋代へ空中輸送;町長ら見送り;記念の花束を贈呈 |
昭和06年09月xx日 | 初めから成功は 疑われていた | 安否不明のマッヂ号に 立川航空方面の話 | クラシナ・マッヂ号;操縦士の女房役の航空士が同乗していない |
昭和06年10月23日 | 朴さんの首途に | 練習生の暖かい手伝い | 小泉逓相等の後援;朝鮮訪問飛行を計画中の日本飛行学校、朴敬元飛行士;同校で使用機サルムソンを整備中;仲間の練習生たちが整備を手伝い |
昭和06年10月24日 | 立川飛行場から 羽田に移る格納庫 | お先に本社の格納庫 | 東京日日新聞社 |
昭和06年11月13日(1) | 動員令に血湧く 本懐!勇士の腕成り 立川連隊十五日出発 | 名誉の指揮官立松少佐 | 飛行第五連隊;十一日夜;四つ所飛行第五連隊に満蒙駐屯軍として出動内命下り;第二大隊長立松少佐;出動人員は○○名;十五日出発と決定;平壌飛行隊の一部交代として出動 |
昭和06年11月13日(2) | 勇士の声朗らか | 戦時気分に沸き立つその夜 | 飛行第五連隊;連隊長辻大佐の人選 |
昭和06年11月14日(1) | 関東郡飛行隊として 凍る北満へ | 先発隊の二将兵はけさ出発 み国のために『まず健康!』 | 飛行第五連隊;満洲出動部隊;立松少佐 |
昭和06年11月14日(2) | 国民の後援に 背かぬ覚悟 | わが立松少佐の言葉 | 飛行第五連隊;下志津飛行学校の長嶺大佐の下に統率 |
昭和06年11月15日(1) | 輝く門出 銀翼に乗す大和魂 今暁立川を出発 | 御真影を奉拝して壮途に勇む 町を挙げてさかんな見送り | 飛行第五連隊;東日航空課から記念万年筆 |
昭和06年11月15日(2) | 軍人の本懐 心残りなし | 立松少佐の答弁 | 飛行第五連隊;御国飛行学校;アブロ機;桑畑に逆立ち |
昭和06年11月17日(1) | その日の派遣兵 | | 電車を待つ立川駅ホーム |
昭和06年11月17日(2) | 愈々めざす満洲へ | 立川飛行連隊の精鋭 | 飛行第五連隊;立松少佐以下○○名;品川駅;東海道を経て広島へ |
昭和06年11月20日(1) | − | − | 御国飛行学校;朝日新聞定期航空会;日本飛行学校;日本航空輸送 |
昭和06年11月20日(2) | 空の港立川 存続のため | 民間飛行存置運動 きのう陸軍大臣へ陳情 | 日本飛行学校;学生連盟;新聞社;使用許可が明年三月末で満期 |
昭和06年11月29日 | 航空技術部に 新聞班新設 | 安井、牧野両少佐担任 | 陸軍航空本部技術部に新聞班;安井;牧野の両少佐;小池大尉の三名が任命;航空本部より野田少佐も来部 |
昭和06年12月02日 | けさ立川−京城間で 往復航法研究飛行 | | 飛行第五連隊;立川−京城間野外航法研究飛行;二大隊の四機(乙式偵察機);指揮官鈴木中佐 |
昭和06年12月06日 | 立川機帰る | | 飛行第五連隊;立川−京城間往復飛行;朝鮮にて事故二機(吉備曹長機;久保木軍曹機) |
昭和06年12月13日 | グライダー | 志知飛行士が自分で造上ぐ | 所沢町の志知一等飛行士;自ら設計したグライダー;日本航空輸送会社第一格納庫 |
昭和06年12月19日 | 超重爆撃機は けさ空輸 | | 三菱製超重爆撃機;各務ヶ原から立川へ空輸;陸軍航空本部技術部;審査に着手 |
昭和06年12月20日 | 超重爆撃機の空輸 | きのう立川で | 編隊飛行 |
昭和06年12月22日 | 民間飛行場存続を 年賀状で宣伝 | 立川町民も大喜び | 日本飛行学校;今年限りのわけでしたが;陸軍のおはからいで、当分立川飛行場に存続できそうです;年賀状 |
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