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昭和13年01月06日 | 壮烈!空爆戦死 | 太原爆撃行の散華 中村伍長 | 近藤部隊;航空兵伍長、中村静夫;少年航空兵として、昭和9年2月に所沢飛行学校操縦科へ、翌10年1月卒業、5月下志津飛行学校に入学して11年2月に同校卒業 |
昭和13年01月07日(1) | 大空に羽搏く 我国最初の滑空学校 蓮光寺丘陵に新設 | 用地買収成立・四月には開校 | 千葉県津田沼の伊藤飛行機製作所工場内日本軽飛行機倶楽部;グライダー学校の用地を物色中のところ、南多摩郡多摩村蓮光寺山を選定、地主との交渉まとまり4月に開校へ |
昭和13年01月07日(2) | 立川上空に集結の陸軍機 | | 陸軍始観兵式の空中分列式;参加機は立川に参集し、予行を実施 |
昭和13年01月09日 | あす・若鷲の入営 | 高等飛行と軍隊料理の御馳走などなど 恒例の付添人懇談会 | 飛行第五連隊;新兵入営 |
昭和13年01月11日 | 無敵空軍を背負うて 勇み立つ若鷲の群 | きのう晴れやかに入営 | 飛行第五連隊;入営の○○○名:空中戦闘訓練を見学;岡崎○○隊長、連隊長代理で、付き添いの父兄姉妹に軍隊生活を説明してから懇談 |
昭和13年01月12日(1) | 森大尉の陣通 選りすぐった芸人勇士で 賑やかに陣中園芸大会 | 山西の空の覇王達の正月 | ○○部隊の府下出身、森正光大尉 |
昭和13年01月12日(2) | 士気頗る旺盛 | きょう入隊の空軍入営兵 | 飛行第五連隊;入隊式 |
昭和13年01月21日 | 陸の荒鷲・四柱の合同葬 | 廿六日午後二時原隊で | 柴田部隊航空兵中尉石川千代蔵、同乗の砲少佐佐成薫、同部隊航空兵伍長山口次郎、近藤部隊航空兵伍長山口次郎とともに |
昭和13年01月26日(1) | 北支・日毎に明朗 華々し空軍の活躍 | 柴田部隊北村中尉の近況報告 | 柴田部隊の北村中尉、戦友の遺骨を抱いて原隊へ |
昭和13年01月26日(2) | 荒鷲三柱 喪の凱旋 | 昨夜二柱を併せ帰神祭 | 柴田部隊の砲兵少佐成瀬薫、同隊中尉石川千代蔵、同隊伍長山口次郎 |
昭和13年01月27日 | 武勲輝かやかしき五柱 | きのう 原隊で合同葬 | 柴田部隊の砲兵少佐成瀬、同隊航空兵中尉石川千代蔵、同隊航空兵伍長山口次郎、近藤部隊の中村静夫、柴田部隊伊藤武夫の五柱の合同葬儀 |
昭和13年02月02日 | 伍長任官 | | 立川飛行隊の15名、航空兵伍長に |
昭和13年02月06日 | 立川飛行隊初年兵検閲 | | 立川飛行隊、初年兵検閲 |
昭和13年02月09日(1) | 立川で最初の帆走飛行證 | | 昨年夏に茨城県鹿島海岸で行われた大日本帆走飛行連盟のグライダー講習会に出席の立川町の中島宗一くん、帝国飛行学校教会から三級グライダー飛行證を授与された |
昭和13年02月09日(2) | この府道工事 三か月は待兼ねる | 立川の関係町民から通行陳情 | 立川飛行隊前から立川飛行機会社工場にいたる府道の拡張工事;一般の通行を禁止して、3ヶ月の工事予定;両側の商店50戸は営業不能のため、徒歩通行許可を警察当局に陳情;飛行場西側の退去した時の営業補償額支給を府当局へ陳情 |
昭和13年02月09日(3) | 荒鷲部隊勇士へ防寒胴衣 | 谷保女青から | 北多摩郡谷保青柳の女子青年団;北支の柴田、近藤両荒鷲部隊に真綿製防寒チョッキを、飛行第五連隊へ伝達依頼 |
昭和13年02月10日 | 北支の荒鷲 柴田大佐帰還 | 逓信航空官に栄転して | 北支の荒鷲部隊長、柴田信一大佐;今度、逓信省航空局の航空官に;昨年7月に出征 |
昭和13年02月11日 | | | 飛行第五連隊;連隊付航空兵軍曹横山虎雄、福谷正治の両氏、10日、所沢陸軍技術学校へ入学 |
昭和13年02月13日(1) | 昭和飛機見習工の試験 | | 昭和飛行機工業株式会社;見習工採用試験、12日、13日に挙行;2日めは身体検査 |
昭和13年02月13日(2) | 見習工一百名 | | 東京瓦斯電気工業;八王子職業紹介所、同社からの依頼を受け100名の募集開始 |
昭和13年02月22日(1) | 飛行隊慰問 | | 飛行第五連隊;愛国婦人会立川分会、28日に慰問予定 |
昭和13年02月22日(2) | 故成瀬、石川両氏進級 | | 北支・柴田部隊の砲兵少佐成瀬薫氏、同航空兵中尉石川千代蔵氏、中佐と大尉に進級 |
昭和13年02月26日(1) | 満洲行熟練工 | | 陸軍某作業官庁;立川町職業紹介所に、熟練工70名の斡旋申込み;勤務地満洲、5日に航空支廠で試験 |
昭和13年02月26日(2) | 凱旋の途上に床し 老母見舞いと展望 | 柴田部隊長寸暇を郷里へ | 5日、凱旋の柴田荒鷲部隊長、故郷和歌山へ |
昭和13年03月03日 | 陸軍進級辞令 | 立川関係の分 | 陸軍進級、立川関係分 |
昭和13年03月04日 | 除隊兵の就職に 万全の準備を | 立川紹介所が手を伸ばす | 立川町職業紹介所;立川町在住で妻子ある者を最優先に |
昭和13年03月12日 | 献納機命名式へ | | 全国青年団による艦上戦闘機、陸上攻撃機の命名式、17日、羽田で;八王子からの代表者参列 |
昭和13年03月19日(1) | 石川島工場敷地を転売の | | 石川島造船所、北多摩郡砂川に購入した5万坪の敷地を、某大工場に転売の契約成立 |
昭和13年03月19日(2) | 実戦の体験をそのまま 陸の若鷲群養成へ | 銃後の支援を謝する近藤少佐 | 凱旋の航空兵少佐近藤三郎氏、立川の自宅ヘ;明野飛行学校教官として赴任 |
昭和13年03月20日(1) | 夢枕に立った血染めの姿 若き自爆荒鷲を悼む | 立川町の乙畑夫妻暗然 | 藤井喜平中尉と少年航空兵桐生喜一軍曹、自爆;桐生軍曹は立川町七軒町の菓子商乙畑を父の如く慕う;血染めの飛行服で夢枕に |
昭和13年03月20日(2) | 北支聖戦に縦横の活躍 武勲を土産の三荒鷲 | 輝しく凱旋・新任務へ | 近藤三郎少佐に続いて、航空兵少佐篠原直夫氏、柴田部隊月航空兵大尉入田実氏、凱旋;谷内部隊長の祝賀会に;遠藤部隊付航空兵中尉片倉恕氏も立川の自宅に凱旋、新任務のため、即日出発 |
昭和13年03月20日(3) | ”大空への門”遂に開く | 苦労精進の内野君へ恵む春 | 飛行第五連隊;飛五内書記、内野邦助君(17)、東京航空学校入学試験に合格 |
昭和13年03月20日(4) | きょう陸軍士官学校落成祝賀会 | | 陸軍士官学校;町田在相武台の新校舎完成、今日20日に落成祝賀会 |
昭和13年03月23日 | 飛行隊の演習 | 四月上旬から | 飛行第五連隊;4月上旬からの訓練演習;谷内部隊長以下、浦賀隊、佐藤隊 |
昭和13年03月24日 | 選ばれた航空局委託操縦性 | 立川、大世戸君 | 航空局;昭和13年度海軍委託航空操縦生の試験の結果、立川町2653安田方の大世戸正登君が採用に決定 |
昭和13年03月25日(1) | 実を結んだ大空への憧れ | 喜ぶ大世戸君 | 昭和13年度海軍委託航空操縦生に採用の大世戸正登君(20);広島県出身、昨年広島県立木の江造船学校航空科を卒業し、陸軍航空技術研究所飛行班に勤務 |
昭和13年03月25日(2) | 大空から降った大タンク | きのう午前府中町の空地へ 何と飛去った飛行機の落し物 | 府中町片町の撚糸業奥島常五郎氏方の撚糸工場空地に、アルミニューム製縦1m・幅半mくらいのガソリンタンクが大音響とともに落下;立川航空支廠の飛行機から脱離 |
昭和13年03月26日 | 瓦斯電気工場の地鎮祭 | 廿九日大和村 | 東京瓦斯電株式会社;北多摩郡大和村芋窪の工場予定敷地で、地鎮祭を行うこと決定;合わせて、50名の行員を募集 |
昭和13年03月31日 | 瓦斯電気募工 | | 東京瓦斯電株式会社;過般、第一回採用試験を行った同社は、283名の受験者から83名を採用;2日に第2回試験へ |
昭和13年04月05日(1) | 物凄い進藤と地響きに ”大地震だ!”と勘違い | 所沢機椿事の刹那 | 所沢飛行学校機;別面所報;立川町の陸軍技手斎藤富蔵氏宅の屋根を大破;操縦者は無事;斉藤宅は2〜300円、青梅線の損害は多額の見込み |
昭和13年04月05日(2) | 篠原少佐の戦線報告講演会 | | 立川飛行隊;下志津飛行学校教官の篠原直夫少佐を招いて座談会;将校集会所にて |
昭和13年04月06日(1) | 復旧は七日朝 | 所沢機の事故による青梅線 | 所沢機の事故により不通の青梅線、7日朝に復旧の見込み |
昭和13年04月06日(2) | 天晴れ若鷲 | | 金的を射止めた内野敏夫君;横須賀 |
昭和13年04月08日(1) | 押寄せる工場従業員で 寿司詰めの立川一帯 | 紹介所が見兼ねて住宅難緩和計画 | 立川町職業紹介所;立川町の貸家はふさがり、住宅難;同潤会の協力を求め、アパート建設を計画 |
昭和13年04月08日(2) | 地曳を避けて 機首転回転の刹那! | 遭難立川機 操縦者は逝く | 立川飛行隊;戦闘機、小田原在酒匂村の水産試験場裏に墜落、畑奈正克上等兵は殉職;僚機2機と箱根越え途中に機体故障、海岸線に不時着しようとしたが、地引網を避けて墜落 |
昭和13年04月09日(1) | 町田の工都化に拍車 | 職工二千を収容する東京磨鋼帯 今日森野地区で着工 | 東京磨鋼製作所、本社王子;町田町森野に7,500坪を買収、工費13万円で工場建設 |
昭和13年04月09日(2) | きょう連隊葬 | 殉職した畑奈君伍長に昇進 | 飛行第五連隊;神奈川県設樂郡酒匂村に墜落の畑奈上等兵、伍長に昇進;9日に連隊葬 |
昭和13年04月09日(3) | 昭和飛機工場に青年学校 | | 昭和飛行機工業株式会社;10日に、青年学校入学式;同社工場は8月中旬に終了の予定 |
昭和13年04月10日(1) | 殉職若鷲の連隊葬 | | 飛行第五連隊;浜松における戦闘演習からの帰途、神奈川県設樂郡酒匂村に墜落の畑奈正己伍長の連隊葬、9日に |
昭和13年04月10日(2) | 航空校地鎮祭 | | 北多摩郡砂川村地内飛行連隊演習場に航空学校建設;9日、地鎮祭 |
昭和13年04月12日 | 航空人第二予備軍養成 三多摩から三名 大空へ伸ぶ若人選抜 | まづ滑空機の訓練に一ヶ月 | 民間に空軍第二予備軍を養成のため、満17〜20歳の全国青年団と青年学校生とから選抜し、逓信省航空官石原大佐が指導の予定;東京市は10名、府下は3名の募集;大日本航空団に願書を提出 |
昭和13年04月13日 | 気象観測要員 | | 陸軍気象部;航空その他軍事上の必要から新設;技手、雇員を500名募集 |
昭和13年04月14日(1) | 輝く空の戦績 荒鷲軍中第一を誇る わが寺西部隊 | 適機撃墜すでに七十八 | 寺西部隊;帰徳空襲の様子を同隊佐藤軍曹が立川の知人へ寄せる |
昭和13年04月14日(2) | 大日本航空は十月に着工 | | 大日本航空工業株式会社;横浜線橋本駅南10万坪を買収、資本金500万円の同社;10月に工場着工予定 |
昭和13年04月16日(1) | 空中作戦の権威 | 感状に輝く北支戦の加藤部隊長 | 北支西安、彰徳方面の空中戦に抜群の武勲;寺内最高指揮官からの感状を授与された加藤建夫部隊長 |
昭和13年04月16日(2) | むさしの | 高粱飯で懇談会 | 立川飛行隊;北支から帰還の篠原直夫少佐から荒鷲部隊の活躍便り、映画会;野戦料理に高粱飯 |
昭和13年04月16日(3) | 立川に職工黄金時代 | 漸く露骨化した熟練工の争奪 吹きはじめる成金風 | 府下軍需工業の発展で、熟練工不足;役付熟練工で月収200円、普通熟練工で160〜170円、半熟練高でも70〜80円 |
昭和13年04月17日 | 戦友達の輸血も空しく 武勲の福山中尉散る | 今更偲ばれる輝く戦績 | 北支帰徳上空大空中戦の福山中い、部隊長の情けの輸血で蘇ったが、その後の経過思わしくなく、病院にて死亡 |
昭和13年04月19日 | ”われ等は斯く闘えり” 寺西部隊の奮戦報告 | 本紙を通じて銃後へ・鈴木准尉 | 北支派遣寺西部隊;陸軍航空兵准尉鈴木 農から |
昭和13年04月20日 | 春空に輝く巨体 ”世紀の翼”木更津へ | 記録飛行への準備試験 | 航研機;17日、周回飛行準備のため立川に空輸;19日、周回飛行のため、木更津へ離陸 |
昭和13年04月23日 | 靖国神社合祀 | 立川関係の三氏 | 靖国神社の臨時大祭を控えて、立川関係者で合祀されたのは、航空兵少佐佐藤主計、砲兵中佐尾形京二、航空兵中尉上野龍太郎 |
昭和13年04月24日(1) | 記念催し取止 | 五月一日立川隊記念日 | 飛行第五連隊;立川飛行隊、5月1日は創立記念日も、時節柄、一切の催しを行わないことに |
昭和13年04月24日(2) | 飛行隊の遥拝式 | | 飛行第五連隊;立川飛行隊、16日の靖国神社臨時大祭当日、全員遥拝 |
昭和13年04月26日(1) | 軍人至上の名誉 | 故小野田兵曹の祖父と母の感激 | 功七・旭八の海軍三等兵曹の小野田良助君;上海戦線で昨年8月に戦死 |
昭和13年04月26日(2) | 北支の空に武勲不朽 荒鷲の英霊九柱凱旋 | 二日神戸着・三日原隊で合同葬 | 寺西部隊航空兵准尉斉藤利三郎、同曹長川井利男、同航空兵中尉川原幸助、同福山米助、須藤部隊航空兵中尉藤井嘉平、同曹長桐生己一、発病病没の須藤部隊航空兵曹長鈴木 操、同伍長渋谷陸の英霊9柱、来月三日、原隊へ凱旋 |
昭和13年04月26日(3) | ”只有難いばかり” | 荒鷲小川兵曹の母談 | 海軍三等兵曹の小川仁蔵、功七・旭八の恩賞に |
昭和13年04月27日(1) | 英霊に捧ぐ | 府民感謝の黙祷 | 靖国神社の臨時大祭;八王子をはじめ府下の学校、会社、工場、役所で1分間の黙祷 |
昭和13年04月27日(2) | 漸く目立つ 貸住宅の建築 | 昨今の立川町風景 | 立川町の住宅難;厚生省の対策準備調査実施に、建築の採算が取れることを確かめたのか、新築が目立つように |
昭和13年04月29日 | 陸軍機不時着 | | 立川航空支廠の安食曹長、立川を離陸後にエンジン故障、立川3238に不時着;機体大破も、操縦者は微傷 |
昭和13年05月01日 | 荒鷲九柱の合同葬は五日に | | 北支の須藤部隊・寺西部隊所属の護国の英霊9柱、5日午後2時からに |
昭和13年05月04日 | 抜群の勲功に 栄誉を称する原隊将兵 | 上聞に達した加藤部隊の感状 | 軍司令官からの加藤部隊への感状授与、上聞に達する;原隊将兵も栄誉;谷内部隊長の談話 |
昭和13年05月05日(1) | わが部隊の全員は、敵機撃墜の殊勲勇士 | ”敵大隊長機”に出合わぬ口惜さ | 寺西部隊航空兵中尉内田源次郎氏、盟友の遺骨を抱いて原隊に;第一回帰徳空中の関口曹長、殊勲抜群に一致 |
昭和13年05月05日(2) | きょう合同葬 空軍の散華九柱 | きのう原隊に凱旋 | 須藤寺西部隊;騎兵大尉牧野威、航空兵中尉川原幸助、同藤井藤井嘉平、同福山米助、同准尉斉藤利三郎、同曹長川井利男、同桐生己一、同曹長鈴木 操、同伍長渋谷 陸の英霊9柱、原隊へ |
昭和13年05月06日(1) | 不滅の武勲を讃えて しめやかに合同に盛葬儀 | 英魂永久にねむる荒鷲九柱 | 4日に原隊凱旋の9柱の葬儀;騎兵大尉牧野威、航空兵中尉川原幸助、同藤井藤井嘉平、同福山米助、同准尉斉藤利三郎、同曹長川井利男、同桐生己一、同曹長鈴木 操、同伍長渋谷 陸の英霊9柱、原隊へ;川原中尉の厳父川原陸軍少将も勲章を佩用して参列 |
昭和13年05月06日(2) | ”部隊長と共に我死なん”の決意 | 張切る加藤部隊・・・佐藤軍曹の戦地談 | 北支、寺西部隊航空兵軍曹佐藤清蔵君の談話 |
昭和13年05月08日 | 町田工場地化の第一陣 | 製作所竣工 | 町田森野地内の東京磨鋼帯会社町田製作所、竣工;操業と同時に第二期工事を着工 |
昭和13年05月10日(1) | 西郡箱根ヶ崎村に・・・ 無電の試験所 | 成績次第で拡張、工場も建設 | 西郡箱根ヶ崎村日光街道沿いの一万坪、東京鎌田区丸子町の東京無線電機会社が買収;無線電信試験所と関係十田の建設に着手 |
昭和13年05月10日(2) | 陸士第六十四回開校記念式 | | 相武台に移転の陸軍士官学校;64回目の開校式;目下、武の神「勇建神社」を建設中 |
昭和13年05月10日(3) | 荒鷲の郷土葬 | | 福山中尉は三重県尾鷲村;鈴木伍長は千葉市赤十字支部で郷里における葬儀 |
昭和13年05月11日 | 故川原大尉の中野区葬 | 十五日に執行 | 寺西部隊・航空兵大尉川原幸助氏の中野区区葬を15日に |
昭和13年05月12日 | プロペラー寄贈 | | 立川飛行隊の岡崎隊長、立川第二小学校へプロペラ1本を寄贈 |
昭和13年05月13日 | 航空兵進級 | | 立川飛行隊;伍長から軍曹へ |
昭和13年05月14日 | 記録飛行の”世紀の翼” | 立川、日野の空を快翔 | 航研機;13日未明に木更津を離陸、同日午前6時半過ぎに立川町上空に姿を表し、飛行場諏訪神社を上空を通って日野上空へ |
昭和13年05月15日(1) | 世界記録へ邁進の航研機 快翔する機影を仰いで ただ成功一念の祈り | 我航空界の名誉にと高橋曹長婦人 | 航研機;わが航空界の国法的存在のテストパイロット藤田少佐を助ける、航空兵曹長高橋福次郎氏;立川町3791の自宅;群馬県北甘楽郡高瀬村出身、昨年4月まで明野飛行学校助教から、航空技術研究所へ |
昭和13年05月15日(2) | ”航空界の為に” | 夫の・・・父の成功を鎮守社に祈る 関根機関士の一家 | 航研機;陸軍航空技術研究所技手、関根近吉氏;立川町3848の自宅;関根氏が9日に出張して以来午前5時には婦人と子供5人で、夕方には子供らが同町の熊野神社に参詣して、父の功を祈る |
昭和13年05月15日(3) | 沸き立つ立川町 | | 航研機;国産、科学日本の誇り;我が立川の誇り、陸軍航空技術研究所の航空兵少佐藤田雄蔵氏、同曹長高橋福次郎氏、技手関根近吉氏の三氏;航空支廠、飛行第五連隊にも知友関係多く、成功を祈る |
昭和13年05月15日(4) | 女子スポーツに 拓かれる新分野 | 大和学院にグライダー部開設 | 大和学院高等女学校;町田郊外、小田急線南林間都市;グライダー部を新設、15日に発会式と初練習;大日本航空婦人会副会長の校長伊藤静江女史の肝いり;練習機”積善”号2機も購入し、千葉県松戸の日本飛行少年団の女子部が移り、大和学院高等女学校と合併;学校裏手に小田急付属野球場をの一部を改装した滑走場 |
昭和13年05月17日 | 町田郊外に女子滑空場開き | 大空に伸ぶ大和学院の生徒達 | 大和学院高等女学校;町田郊外小田急線南林間都市に2万5,000坪の滑走場を新設した大日本航空婦人会専用大和学院飛行場開場式;伊藤静江女史の開会の辞、会長代理中野女史の辞;式後、女流飛行家松平和子さんらの滑空練習" |
昭和13年05月21日(1) | 学童と婦人会 きょう旗行列 | 立川町で飛行隊訪問 | 立川飛行隊;20日、徐州陥落祝賀提灯行列;今日21日は小学生の旗行列と国防婦人会の飛行隊訪問 |
昭和13年05月21日(2) | むさしの | 通信校の入札 | 町田郊外に移転する陸軍通信学校の建設工事入札;予算超過によりまとまらず、請負側業者と調整へ |
昭和13年05月23日 | 立川連隊演習 | | 飛行第五連隊;6月4日から浜松を中心に戦爆連合演習;15、16日は鉄道と連合演習;22日からは射撃演習 |
昭和13年05月24日 | ”飛五”が優勝 | 立川の軟式野球 | 健康週間立川町官公署軟式野球大会;7チームが参加し、飛行第五連隊が優勝 |
昭和13年05月25日(1) | 陸に荒鷲 感状に輝く不滅の武勲 寺西部隊と福山大尉 | 公報に沸立つ原隊の将兵 | 寺西部隊、4月10日の北支帰徳上空で敵新鋭機24機を撃墜のほか、総計100余機を撃墜;寺内最高指揮官から、寺西部隊と福山大尉に感状授与 |
昭和13年05月25日(2) | 立川機不時着 | | 飛行第五連隊;24日午後3時半頃、片倉恕中尉操縦の練習機、離陸直後に発動機故障から不時着;機体中破、中尉は微傷 |
昭和13年05月26日(1) | 明日の調布町 大工場の続設で 約束される大躍進 | 明日の調布町 大工場の続設で 約束される大躍進 | 多摩河原遊園地と日活村で命脈を保っていた調布町;極秘裏に買収を終えた飛田給裏一帯と、写真工業会社 |
昭和13年05月26日(2) | 雛鷲の精鋭機見学 | | 飛行第五連隊;陸軍士官学校予科航空兵科生徒370余名、飛行第五連隊と荒鷲精鋭機を見学 |
昭和13年05月26日(3) | 大金を持つ不審若者 軍用機を撮影 | 立川憲兵隊で取押さへ厳重に追究 | 立川飛行場で陸軍機を撮影していた青年を引致;東京府深川区千石町1-6、吉田四郎君(21);現金100余円を懐中 |
昭和13年05月27日 | 昭和飛機伊藤所長披露 | | 昭和飛行機株式会社の伊藤久米蔵氏、東京製作所所長に |
昭和13年06月02日(1) | 若鷲育ての親 | 佐藤一郎大尉 仙台飛行場に栄転 | 谷内部隊;航空兵大尉佐藤一郎氏、航空官に栄転、仙台飛行場長も兼任 |
昭和13年06月02日(2) | 通信校の建築請負決る | | 陸軍通信学校;町田郊外の建築、広島藤田組に42万5,000円で決定;明年3月に竣工 |
昭和13年06月03日(1) | 桑野少佐・尊き殉職 | 静岡県下で飛行演習中 | 陸軍航空技術研究所;航空兵少佐桑野龍一(30)、浜松陸軍飛行学校の技師大井泰助・航空兵少尉小林清雄の乗る飛行、天竜河口に不時着水、殉職 |
昭和13年06月03日(2) | 今月中に着工 | 中島飛機の武蔵野製作所 | 中島飛行機武蔵野製作所、今月いっぱいで竣工;職工3,000 |
昭和13年06月03日(3) | 航空兵伍長に | | 立川飛行隊;配属された少年航空兵第三期の小野崎君ほか4名、1日付で航空兵伍長に |
昭和13年06月05日(1) | 尊き研究の犠牲 故桑野少佐の所葬 | きのう航技研究所で執行さる | 浜松陸軍飛行学校の爆撃場で演習中に殉職の、陸軍航空技術研究所付の航空兵少佐桑野龍一氏の所葬、4日に仏式にて |
昭和13年06月05日(2) | 飛行機見学 | | 吉祥寺第七班長台佐平君以下30名の青年団員、羽田にて航空機操縦の実地を見学 |
昭和13年06月08日(1) | 大家族主義で能率向上へ | 明朗立川飛機 | 立川飛行機;昨年の増資、従業員の大量採用、永年勤続職工を伍長、職長あるいは社員に登用;大家族主義の横川専務により、新規社員の子弟に適任者いれば優先考慮 |
昭和13年06月08日(2) | 飛行隊見学 | | 立川飛行隊;東京文理科学大学学生200余名、14日午前に飛行隊を見学 |
昭和13年06月08日(3) | 航空訓練見学 | | 飛行第五連隊;早大専門部学生200余名、7日に飛五を見学 |
昭和13年06月11日 | 北支の空に敵なし わが荒鷲群の華 僕はこうして敵機と闘い撃墜した | 寺西部隊・須藤軍曹の奮戦談 | 寺西部隊、少年航空兵の須藤徳弥軍曹;今春の第一回帰徳攻撃時にイ15を初撃墜;同期3人のうち2名は既に戦死 |
昭和13年06月12日 | 天晴れ雛鷲 | 安藤秀雄君パス | 武蔵野町吉祥寺2820の安藤秀雄くん、海軍少年航空兵採用試験に合格;11月1日に入営 |
昭和13年06月21日 | ”躍進昭和”一帯の相貌 | 工場を中心に大道路新住宅等々 | 昭和飛行機工業株式会社東京工場、見習い工400名収容の青年学校に、その他見習い工300名が訓練中;50万坪の飛行場地ならし、諸機械搬入用の字宮沢から工場の幅11m道路延長など |
昭和13年06月23日 | 航法演習飛行 | | 立川飛行隊;○機、各務ヶ原加治川方面に航法演練 |
昭和13年07月02日 | ”日本航空”建設を断念 | 工場用地の急激な値上がりから 逃げられた町田 | 町田長郊外金森に2万1千坪の土地買収済みの日本航空製作所(本社東京市);更に接続用地3万坪の買収交渉を進めてきたが、地主たちの値上げから折り合い付かず、建設を断念;買収済み土地も他に転売 |
昭和13年07月06日 | 蘭邦空中戦 荒鷲は語る | 吾等はこうして敵機を撃墜した =1= 輝く寺西部隊の実戦座談会 | 北支の寺西部隊;昨年以来5月の蘭邦空中戦までに敵機98機を血祭りに;寺内軍司令官ならびに○○部隊長から感状2枚;座談会出席者、澤田貢大尉、安間克己中尉、和田春人軍曹 |
昭和13年07月07日 | 輝く一ヶ年の戦績 | 北中支の空を制覇して余さず 荒鷲・・・須藤、寺西部隊 | 今日の事変一周年、須藤、寺西両部隊の犠牲者;8月9日に須藤部隊上野龍太郎中尉・尾方京二少佐の○○機;10月中旬に須藤部隊石川千代蔵中尉・成瀬薫少佐の○○機、寺西部隊の少年航空兵中村静夫軍曹の○○機、1月30日の第一回洛陽空襲には寺西部隊の少年航空兵川井利男曹長;2月27日の須藤部隊の航空少年兵桐生己一曹長・藤井喜平大尉の○○機;3月25日の第一回帰徳空襲では寺西部隊の川井幸助大尉(13機撃墜);4月10日の第二回帰徳空襲には寺西部隊の福山米助大尉;4月15日には寺西部隊の斉藤利三郎准尉 |
昭和13年07月10日 | きょう若鷲入営 | | 第四航空教育隊;入営兵○○○名、今日入営 |
昭和13年07月12日(1) | 荒鷲部隊の守り神に 僧侶が赤心の千達磨 | 保井寺藤浪住職が絵筆の精進 | 荒鷲部隊のマスコットには、七転八起の達磨が一番と、南多摩郡由木村堀之内の保井寺就職、千達磨を近く完成、陸海両軍に献納の見込み |
昭和13年07月12日(2) | 展開されるか 見習工の争奪戦 | 各軍需工場はやくも手を伸す | 中島飛行機製作所、見習工3,000名の募集を立川町職業紹介所に斡旋を依頼;同日、立川飛行機も100名の依頼 |
昭和13年07月12日(3) | 航空教育隊入隊式 | | 第四航空教育隊;12日午前に入営兵○○○名の入営式 |
昭和13年07月13日(1) | 滑空機講習 | 大和学園で八月一日から | 町田郊外大和学園飛行場;毎週土曜に練習の大日本航空婦人会女子グライダー部、8月1日から2週間のグライダー講習会 |
昭和13年07月13日(2) | 近藤中佐着任 | きょう午後九時 | 近藤部隊長、航空兵中佐近藤兼利氏、13日の午前9時に部隊へ着任 |
昭和13年07月14日 | 小柄だが精悍 近藤中佐きのう着任 | ”戦争の目的遂行に精進を期す” | 近藤部隊の新部隊長;近藤兼利航空兵中佐、13日午前に着任 |
昭和13年07月15日(1) | 大和学園に自動車の練習場 | | 大和学園高等女学校;町田郊外;グライダー部の飛行場に隣接して、自動車練習場を開設に;生徒の勤労奉仕で、6,000坪の土地を拓く |
昭和13年07月15日(2) | 足許をねらう地主達 | 地価の値上がりに”発展田無”の悩み | 中島飛行機会社;田無町向台に田無第二工場新設計画、買収交渉中;地主は坪10円でないと売らないの姿勢に、町議が6円にまで値下げ交渉;これを聞いた電気試験所の地主たちが、自分たちは3円で買収に応じたが、6円でないと売らないと突如の値上げ |
昭和13年07月15日(3) | 服装、履物お構いなし | 率先立川飛機が工場街に一石 | 立川飛行機;消費節約の国策に沿うため、工場内の履物から皮靴を一層、制服も廃止に |
昭和13年07月16日 | 蘭邦空中戦 荒鷲は語る | 吾等はこうして敵機を撃墜した = = 輝く寺西部隊の実戦座談会 | 座談会第二部;出席者、森本重一大尉、坂井庵中尉、梅川亮三郎准尉、畑中干夫曹長、吉澤鶴寿曹長、松井孝曹長、下方鶴二曹長、須藤徳弥軍曹、待場四平軍曹 |
昭和13年07月19日 | 電車、トラック衝突 重軽傷十数名 | 航空支廠前踏切の椿事 | 陸軍立川航空支廠前踏切で、立川行き旅客電車がトラックと衝突;3名重傷 |
昭和13年07月20日 | 三多摩さまざま | 飛行演練 | 近藤部隊;成冨隊の○○機○機、航法演練のため19日に浜松へ |
昭和13年07月22日 | 飛行機工場招致に邁進 | | 中島飛行機株式会社;田町第二工場の敷地買収問題は、有力者と土地ブローカーの暗躍が暴露;関係者は、町勢発展のため招致運動に邁進 |
昭和13年07月23日 | 立川飛行機会社でも | | 立川飛行機株式会社;国策に沿い従業員全体を上げて断行;不要電力の送電中止、工場に廃品係を置き、紙類や皮革類の再生、労力経済生産増加消費節約の計画作成、住宅の修理・改築を行わない、宴会をしない、パーマネントは断然行わないこと |
昭和13年07月24日(1) | 三多摩さまざま | 牧野部隊長視察 | 牧野部隊長;26日日に近藤部隊並びに第四航空教育隊を視察 |
昭和13年07月24日(2) | 三多摩さまざま | 航法演練終る | 近藤部隊;成冨隊の○○機○機、航法演練を終え浜松から23日に全機無事帰還 |
昭和13年07月24日(3) | 三多摩さまざま | 空輸機立川へ | 日本航空輸送株式会社;ロックヒード機、23日〜31日の間羽田飛行場が使用できないため、立川飛行場東側で離着陸することに |
昭和13年07月24日(4) | 同潤会と並行して 町営住宅建設 | 軍都町田の悩み解消 | 町田町;住宅難解消に乗り出した町当局、工費120万円で将校用住宅10余戸を建設に;同潤会の住宅は工費10万円で50戸 |
昭和13年07月24日(5) | 住宅難の田無に 大アパート建設 | 中島飛行機会社で先鞭 | 中島飛行機株式会社;住宅難に対して、保谷村上保谷に2万坪の敷地を求め、1,000余室の大アパート建設へ |
昭和13年07月26日 | 陸の荒鷲遠藤大尉 | 武勲を土産に帰還 | 遠藤操陸軍航空兵大尉、帰還;町長以下官民、立川駅頭にて出迎え |
昭和13年07月29日 | 渡洋爆撃廿九回 | 海の荒鷲小島二空曹 | 南多摩郡小宮町出身の故小島寿夫海軍二等航空兵曹;北支戦線、中支戦線の第二次論功行賞にて、殊勲甲の功六旭七の府下最高の叙勲 |
昭和13年07月31日 | 新鋭の空輸機試験飛行 | | 日本航空輸送株式会社;今度輸入した新鋭旅客輸送機ロックヒード天龍号;30日に立川飛行場にて今岡、大森両飛行士、遠藤機関士、小川東京支所長等で軽量試験飛行を実施;一回5分ずつ、立川町上空を飛行 |
昭和13年08月02日(1) | 三多摩さまざま | 谷内中佐家族 | 立川飛行隊長から第一航空教育隊長へ栄転の谷内中佐;家族とともに、任地に出発 |
昭和13年08月02日(2) | 昭和村にまた新飛行機会社 | 敷地買収に反対の声 | 府下某所に工場敷地を物色・買収着手したが高値により不調に終わった某飛行機製造会社;北多摩郡昭和村大字宮沢に新候補地を選定、密かに地主の脈を引いたところ大体応諾だったため、土地測量し、近く正式に交渉開始;昭和飛行機が挑戦工場に全力を挙げている関係から、専用飛行場に余裕が生じることから、新会社がその一部を借受けて使用できる便宜あり、地価も安いため;地域一住民は、昭和飛行機だけで飽和とし、昭和飛行機の名を詐称して測量したことに不快感 |
昭和13年08月10日(1) | 三多摩さまざま | 頼もし荒鷲第二陣 | 航空第四教育隊;第一期検閲;野田隊長も満足そう |
昭和13年08月10日(2) | 盟邦機に 休息安眠の地を | 立川町の歓迎準備 | 盟邦ドイツからの飛来機;搭乗員は立川飛行機工場にて睡眠か? |
昭和13年08月11日 | 家賃昂騰 | 立川の貸家払底 | 立川町;軍需労務者の転住により貸家払底;月18円を月30円に値上げする家主もあり、悶着 |
昭和13年08月12日(1) | 飛行機会社の慰問袋 | 一万二千個 | 立川飛行機株式会社;従業員一同が慰問袋を贈ることに決し、12,000個を用意;11日に、横山専務と庶務課課長がトラックで陸軍省に出頭、手続きすることに |
昭和13年08月12日(2) | 中北支の大空から 武勲の”荒鷲”帰る | 日の丸扇子を手に手に | 寺西、須藤、中平、中園、仁井、高橋各隊で活躍した○○隊の一部将兵、上陸・原隊へ |
昭和13年08月12日(3) | 南支空爆の華 | 山田兵曹長の戦死確認 | 山田永平海軍整備兵曹長、敵の地上砲火と敵戦闘機の攻撃により戦死;立川陸軍航空支廠勤務山田暁次氏の弟 |
昭和13年08月13日 | 手柄話をみやげに 陸の荒鷲かえる | ○部隊は勇躍壮途へ | 北支からの須藤、寺西両部隊の帰還兵、昨夜、列車にて原隊に帰還;一年ぶり |
昭和13年08月14日 | 須藤、寺西両部隊の帰還祝い | | 12日に帰還した須藤、寺西両部隊の帰還兵、13日正午に営庭にて祝宴 |
昭和13年08月16日(1) | 堂々銀翼をつらねて 全機帰還の嬉しさ | 地上勤務を語る市川上等兵 | 八王子市明神町出身の市川友春航空上等兵、14日に除隊;陸の荒鷲の感激体験談 |
昭和13年08月16日(2) | 泥海の飛行場で 愛機を洗う | 大谷軍曹”陰の働き”を語る | 須藤部隊;大谷吉之助航空兵軍曹、武蔵野町境の自宅に帰還;膝まで没する一面泥海と化した飛行場で、風呂に入らなくとも、愛機は綺麗に洗ってやったと談 |
昭和13年08月16日(3) | 買収手続完了 | 立川の自動車工場敷地 | 石川島造船自動車工場;立川町郊外の砂川村に5万坪の敷地を買収し、更に隣接した畑地4万5000坪も買収完了;一説には、三菱重工業東京工場の敷地として、石川島造船が代理行為しただけとも |
昭和13年08月19日 | 立川飛行機会社郷軍分会総会 | | 立川飛行機株式会社;会社内の独立郷軍分会、21日に総会 |
昭和13年08月26日(1) | 鉄道防空講習 | | 鉄道省の防空講習会第一日,近藤部隊で25日に;全国鉄道の防空主任168名、成富少佐指導の下、空地連絡、高射砲などの講習を受ける;26日は東京にて化学防空の講習 |
昭和13年08月26日(2) | 陸軍工校一期工事完成 | 先発隊到着 | 陸軍工科学校;町田郊外淵野辺駅前に建設中だった陸軍工科学校、第一期工事を完成;29日に先発2個中隊が新校舎入り、第二陣は30日午後 |
昭和13年08月27日(1) | 三多摩さまざま | 士官校生見学 | 陸軍士官学校本科生徒○○名、航空支廠と近藤部隊を見学;吉富隊長の説明で、精鋭機を見学 |
昭和13年08月27日(2) | 証拠つきつけられて ぽつぽつ自白 | 大泥棒の飛行機職工 | 五日市町の立川飛行機職工、橋本巌 |
昭和13年08月30日 | 陸軍工校一期工事完成 | 先発隊到着 | 陸軍工科学校;町田郊外淵野辺駅前に建設中だった陸軍工科学校、第一期工事を完成;29日に先発2個中隊が新校舎入り、第二陣は30日午後 |
昭和13年08月31日 | H・J一行に送る魔よけの天狗 ヒットラー・ユーゲントに 心こめたプレゼント | 南部青年団の心尽くし | 来日中のヒットラー・ユーゲントを多摩に迎え、交歓が実現しなかった南多摩郡青年団;霊峰高尾の「魔よけの天狗」を贈呈することに |
昭和13年09月02日 | 近藤部隊辞令 | | 次の航空兵少尉、任航空兵中尉;千葉吉太郎、佐藤勳、高田正夫、渡辺保、世古田武次、近藤明邦、長谷川弘一、小出俊雄 |
昭和13年09月07日 | 張り切る荒鷲の卵 | 東京陸軍航空学校生徒の生活断片 | 北多摩郡村山の東京陸軍航空学校;31日から1日にかけて凄い暴風雨の中帰校した生徒は、引き続いて熱心に勉強;武蔵野ヶ原にみる富士の霊峰は、未だ見えず |
昭和13年09月09日 | 練習学生機 不時着 | 搭乗者は無事 | 近藤部隊で練習中の学生航空連盟の松尾幹男(慶應大学航空部);同学生松田功君を同乗してアンリオ機で練習飛行中、機関故障により砂川の桑畑に不時着;機体は逆立ちするとも、翼柱に多少被害;搭乗者は無事 |
昭和13年09月11日 | 盟邦ドイツの聖章 逆卍の奇しき由縁 | 八王子っ児が本家と判って 朗らかな話題に賑わう | ヒットラー・ユーゲントの来朝;ナチスの聖章が、昔八王子の横山党の代表家紋(丸に卍、黒餅に卍、黒餅に逆卍など) |
昭和13年09月13日 | 立川、豊原間の 航法演習飛行 | 十六日から廿三日まで | 近藤部隊;近藤部隊長指揮の下、立川、豊原間1,400kmの航法演習;成富隊は第七師団との連合演習のため札幌飛行場を基地に;石原隊が仙台−青餅−札幌−豊原のコースで直行 |
昭和13年09月14日 | 空から視察 | | 防空演習;第2日夜、内務省、警視庁、近県防空担任者6名、日本航空輸送のフォッカー機に登場、午後8時25分に立川飛行場を離陸して灯火管制状況を視察、午後10時20分に立川に着陸 |
昭和13年09月15日(1) | 警視総監一行 空から視察 | | 防空演習;第3日夜、警視総監らが日本航空輸送のフォッカー機に搭乗、午後6時に立川飛行場を離陸して、東京・埼玉・千葉の1府2県の灯火管制状況を視察し、午後7時50分に立川に着陸 |
昭和13年09月15日(2) | 鶏卵で軍用機献納 | | 府下の養鶏業者3万5,000名、全国養鶏組合連合会主唱の「養鶏報国号」軍用機献納運動に加盟 |
昭和13年09月16日 | 三多摩さまざま | 軍用機不時着 | 陸軍航空技術研究所;富島軍曹操縦により飛行中、機関故障により不時着;搭乗者は軽傷 |
昭和13年09月23日 | 空の珍客の妙技に 荒鷲達も嘆賞 | 津田沼立川間グライダー飛行 | 東京日日新聞社;同航空部の清水滑空士操縦の佐藤式TC型グライダー、同社松下操縦士のクレム機に曳航されて千葉県津田沼を午前10時5分に離陸;10時40分に立川上空に姿を現し、45分に曳航機はケーブルを放って着陸;グライダーは高度1,500mくらいで宙返り、横転、木の葉落としなどを披露、11時10分に着陸 |
昭和13年09月25日(1) | 逆卍の旗印に結ぶ 奇しき由来 | H・J団に 最大のお土産 | 八王子連合青年団、28日の日独青年団大交歓会にて、卍の紋章由来記と横山神社のお守りを贈呈することに |
昭和13年09月25日(2) | 三多摩さまざま | 陸軍工校開校式 | 町田郊外陸軍工科学校;1日に開校式 |
昭和13年09月27日(1) | 愛国機も生れる ダバオ同胞の祖国愛 | | 八王子市出身の小林、久林両君、フリッピンはダバオ島に渡り、邦人会社太田工業株式会社に勤務;第1回に引き続き、第2回の愛国機ダバオ号の出現を見ようとしている |
昭和13年09月27日(2) | 立川厚木間グライダー飛行 | | 立川飛行場で気流調査と野外飛行訓練中の清水滑空士;26日午前10時46分に曳航機を離れ、付近を飛行後、午後1時56分に神奈川県厚木飛行場に着陸;立川飛行場から係員がトラックで現場へ急行し、輸送 |
昭和13年09月28日 | 『バケツ』の練習より 地下設備を急げ | 近藤部隊長に齎された 防空演習への示唆 | 近藤部隊;部隊長の許へ、ヨーロッパの防空演習と防諜に関して情報到着 |
昭和13年09月29日 | 陸の荒鷲の卵 | 三日掛りの身体検査 | 北多摩郡村山の東京陸軍航空学校;今年度後期入学生○○名、身体検査を開始 |
昭和13年09月30日 | 逆卍に結ぶ感激譜 | H・Jへ八市連青から 由来記と神符を贈呈 | 八王子連合青年団、29日に東京第一ホテルを訪れて、贈呈 |
昭和13年10月02日(1) | 三多摩さまざま | 試験飛行 | 日本航空輸送会社;新規購入のダグラス旅客機の試験飛行を3日、4日に |
昭和13年10月02日(2) | 近藤部隊辞令 | | 近藤部隊;航空兵少尉高橋 隆・望月 衛、任航空丙中尉;軍医少尉山岸 光國、任軍医中尉 |
昭和13年10月04日 | 陸の若鷲入校式 | 松丸君等晴れの首途 | 北多摩郡村山村の東京陸軍航空学校;第一期後期生徒は、3日に入校式;携帯荷物を郷里に変装するために、立川郵便局では特に都市逓信局自慢の移動郵便局の出動 |
昭和13年10月08日 | ”引越し先きに頑張る若い衆” | 多摩荘に事変色悶着 | 立川町の文化住宅街多摩荘;引っ越しして来たところ、若い衆が30人ぐらい頑張っていて引っ越しd機内と、交番に届け出 |
昭和13年10月09日 | 誉れの近藤部隊 | 『殊勲甲』の荒鷲三羽 | 今事変第四回論功行賞に、殊勲甲の航空兵大尉福山米助、同川原幸助、同准尉採用利三郎;川原大尉は、敵機一機を撃墜の度に翼マークを1個 |
昭和13年10月11日 | 故小野航空兵 | 廿日無言の凱旋 | 南多摩郡忠生村出身の海軍一等兵小野良直の遺骨、町田に無言の凱旋 |
昭和13年10月26日 | 戦争はこれから | 立川・近藤部隊長の緊張 | 近藤部隊;漢口陥落に談話 |
昭和13年10月27日(1) | 警官へ航空講演 | | 警視庁;警察官に時局認識と常識発達に資するため講演会;第一回は近藤兼利航空兵大佐が講師 |
昭和13年10月27日(2) | 陸軍機墜落す | 徳升軍曹危篤 | 立川航空支廠勤務の徳升喜二航空兵軍曹、相玉県入間郡山口村上空で機体故障、落下傘降下のひまなく機体とともに墜落、危篤;少年航空兵第二期出身 |
昭和13年10月27日(3) | 立川機不時着 | 操縦者は無事 | 立川航空支廠の戦闘機(米川中尉操縦)、エンジン故障から大島野増島砂の浜海岸に不時着・小破 |
昭和13年11月05日 | 滑空機工場雨中の地鎮祭 | | 西多摩郡調布村字河辺地先の西海土滑空機製作所;工場地鎮祭、3日に |
昭和13年11月06日(1) | 伊太利機を迎える準備OK | | 訪日伊機の着陸場に決定;着陸の日は近藤部隊が場内警戒、陸軍機が誘導、他 |
昭和13年11月06日(2) | 勇士と小学生 | 明朗連合運動会 | 立川三小学校児童と立川陸軍病院の連合運動会、同病院広場で5日に;上空を飛ぶ軍用機も、低空飛行して手を振って祝福 |
昭和13年11月12日 | 慌てる敵兵 壮絶・神技の爆撃 | 【第六信】 従軍文芸部隊 瀧井孝作 | 武漢三鎮攻略;○○部隊機に便乗して、金牛鎮の爆撃に同行 |
昭和13年11月18日 | 郵便部が優勢 | 八局の飛行機献納切手売り競争 | 飛行機を生み出す愛国切手の売りさばきに懸命の八王子局;電信部、郵便部、為替部、保健部、庶務部、電話部に分けて競争;16日現在で、1,662枚(794円41銭、純益336円42銭) |
昭和13年11月20日 | 荒鷲を育てる きょう航空学校開校式 | | 北多摩郡村山村東京陸軍航空学校;開校式、20日に;熊谷飛行学校から約30機の練習機の大編隊で祝意表すはず |
昭和13年11月23日 | 陸軍通信学校 | 近く町田郊外へ | 町田郊外相模原に新築中の陸軍通信学校、近く完成;27日に一部生徒(160名)が引っ越し |
昭和13年11月24日(1) | 飛行場見物の取締まりを強化 | | 立川憲兵分遣隊;最近一般人が飛行場に立ち入り寝転んだりピクニック気分で弁当を使うことが増加、危険と防諜の立場から、従来説明に留めていた取り締まりを強化;写真撮影は写真機を押収;近く、羽田飛行場から旅客機が移転してくる |
昭和13年11月24日(2) | コンドル機歓迎陣 | | 盟邦ドイツのコンドル機;イタリーのセント・フランチェスコ號は不幸中止に;陸軍航空技術学校が準備にあたり、野田部隊が警戒警備に |
昭和13年11月24日(3) | 資生堂献納機きのう命名式 | | 東京資生堂従業員から帝国飛行協会にグライダー練習機3機の命名式ならびに献納式、23日に立川飛行場で |
昭和13年11月29日(1) | コンドル機着けば | サイレン合図に歓迎 | ベルリン東京間14,000kmの防共ルートを飛ぶコンドル号;立川着陸と同時にサイレン;各学校生徒や各種団体多数が立川飛行機前に集合、村田丹陵画伯揮毫の立川からみた藤と桜の色紙を搭乗者5名に贈呈;許された者以外入場禁止、写真撮影も禁止" |
昭和13年11月29日(2) | 陸軍航空技術学校 | きょうから立川移転 | 陸軍航空技術学校、所沢から立川へ移転;29日から移転開始、5日に完了予定;空都立川、同校移転により一層の躍進 |
昭和13年11月30日(1) | コンドル機 快翔の報に | 全立川は張り切る | ベルリン東京間14,000kmの防共ルートを飛ぶコンドル号;陸軍航空技術研究所と警備の野田部隊、立川憲兵隊、府中署、立川町で協議 |
昭和13年11月30日(2) | これから立川町民 | 困ったのは大世帯の住宅 航空技術校松友中佐談 | 陸軍航空技術学校;教官松友幸航空兵中佐、移転先発隊として校内清掃整備に着手;甚だしい住宅難 |
昭和13年11月30日(3) | 空都の発展に | 感慨の佐藤大尉 | 仙台航空乗員養成所の練習生8名、練習機4機にて立川に29日着陸;指揮官佐藤大尉元近藤部隊の○○隊長で、半年前に仙台に赴任;半年の発展と転変は驚くべきものとの談 |
昭和13年12月01日(1) | 燦たり!国際新記録 日独結ぶ四十六時間 | アゝ凱歌コンドル機に高し 空都立川に轟く歓声 | ベルリン東京間14,000kmの防共ルートを飛ぶコンドル号;11月30日午後10時10分、飛行場上空に姿を」現し、10時35分に着陸;ベルリン−東京間14,180kmを46時間40分翔破" |
昭和13年12月01日(2) | 土屋氏が歓迎譜 | | 武蔵境町の土屋白秋氏、コンドル機を迎えて親善譜を東日田無通信部へ |
昭和13年12月02日(1) | お里帰りの空の花嫁 | | 羽田飛行場の改良工事のため、日本航空輸送株式会社は立川に12月1日移転;明年3月末まで;事務所、中央郵便局分室、税関、検疫、気象観測室;乗客には自動車のサービス |
昭和13年12月02日(2) | コンドル見物 | 撮影禁止を冒す | 立川憲兵隊;飛行機撮影禁止区域での撮影を行うよの報あり、容赦なく4名を検挙、取り調べ中 |
昭和13年12月02日(3) | 立川駅中売り | 盟邦機で大当たり | コンドル機の立川着は夜遅かったため、東京や山梨・埼玉県方面からの見学者多く、駅の中売りは大当たり;従来最も多かった日より、170円余も多い |
昭和13年12月02日(4) | コンドル賛歌 | | 北多摩郡保谷村役場書記で詩人・大衆文芸作家の原田重久君、「コンドル機を迎える歌」を、東京日日新聞社立川通信部に寄せた |
昭和13年12月02日(5) | 歓迎で盗難 | | 日本航空輸送会社の事務員市原近善君、10円60銭入りの財布をオーバーに入れたまま飛行場事務所において、コンドル機の着陸を見ているいうちに盗難に遭う |
昭和13年12月03日(1) | 陸軍航空学校五日移転完了 | | 陸軍航空技術学校;5日に所沢を発って、移転を完了の予定 |
昭和13年12月03日(2) | 立川の入営壮行 | | 立川町、入営兵送別会を3日午後1時から |
昭和13年12月04日 | 久邇宮殿下 コンドル御見学 | | 久邇宮殿下;陸軍航空技術研究所所長香積少将、野田部隊長のご案内で、第五格納庫にお成り、コンドル機を視察 |
昭和13年12月06日(1) | 親善の翼は帰る コンドルよさらば! 見送りはハインケル | きょう東海の暁闇衝いて | コンドル号、マニラ経由でドイツへ;スペリーは照射せず、コンドル号の持つ燈光で離陸 |
昭和13年12月06日(2) | 航技校の移転 | | 陸軍航空技術学校;5日に移転完了 |
昭和13年12月06日(3) | 陸軍通信学校 | 本部移転は明春 | 町田郊外の陸軍通信学校;1日、臨時生徒100名の入校式;本部以下は来年2・3月から7月の予定 |
昭和13年12月07日(1) | コンドルの悲報 立川の憂愁は一人 | 我が事のように大使館に聞く | コンドル機、マニラ飛行場にゴール直前に不時着 |
昭和13年12月07日(2) | 飛行機付属品を 盗み集めた怪職工 | | 中島飛行機武蔵野工場職工、中島豊;工場の機体部品を持ち帰り、古物商に売却 |
昭和13年12月08日(1) | 賑わう空港に撮影の違反増加 | | 立川飛行場;日本航空輸送の輸送機が数機が待機;第三格納庫をはじめ、航空輸送機で大入り;飛行機は撮影禁止のため、取り締まり |
昭和13年12月08日(2) | コンドルの送迎に | 立川局陰の奉仕 | 立川局、二等局に昇格して丁度1年;コンドルの離着陸に臨時電話の申し込みあるも、局員は初めて;局長・主事等で徹夜して指導 |
昭和13年12月09日(1) | 航技校関係で貸家建築要望 | | 陸軍航空技術学校;学生は元より職員も立川に居住を原則;借家難 |
昭和13年12月09日(2) | 札幌線航空便雪で仙台止まり | | 青森飛行場の積雪のため、休航;空輸機は8日から仙台止まり |
昭和13年12月18日 | 調布新空港 建設人夫に優先権 | 立退き家屋は約廿戸 | 調布空港;調布町、地元の建設人夫に優先して雇用に |
昭和13年12月20日 | もう看板揚げて飛行場工事調査へ | | 調布空港;調布町、敷地50万つぼを提供へ;上石原あたりが正門に |
昭和13年12月21日(1) | 陸軍始めに銀翼編隊参加 | | 陸軍始め観兵式に、飛行部隊と陸軍航空技術学校機が参加に;航空教育総監の新機構の確立後最初の観兵式 |
昭和13年12月21日(2) | 多摩荘も繁昌 | 立川町の住宅難 | 立川町の住宅難深刻化;最近は新たに借りる人なかったが、70戸のうち修理できぬ10数戸を除いて塞がった |
昭和13年12月21日(3) | 入隊に奉仕 | | 第四航空教育隊;新春早々に進入営兵;町の旅館業組合では、料金で入営に奉仕 |
昭和13年12月21日(4) | 航技校移転披露 | | 陸軍航空技術学校;26日に立川町の官民100余名を招いて校舎の披露;町でも新春に同校首脳部を招待に |
昭和13年12月24日 | ダグラス機 | 悪天候で引返す | 立川着の日本航空輸送ダグラス機、音羽侯爵搭乗も、悪天候により福岡に引き返す |
昭和13年12月27日 | 航技校移転祝 | | 陸軍航空技術学校;26日午前11時半から移転祝賀会;校長値賀中将に将校職員、陸軍航空技術研究所長の安田少将らの来賓参席 |
昭和13年12月29日 | 今年の回顧 | 十一月 十二月 | コンドル機、11月30日、立川に安着;コンドル機、12月6日に立川を離陸 |
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