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昭和11年01月05日(1) | 一月の暦 | | 飛行第五連隊;行事予定 |
昭和11年01月05日(2) | あす 観兵式予行 | 空を圧する七十三機 | 飛行第五連隊;観兵式空中分列式予行に、飛行第五連隊、所沢・下志津両飛行学校;先頭軽爆撃機に徳川中将、第一編隊長辻少将の九二式偵察機15機、第二編隊長増野大佐の八八式偵察機9機、第三編隊長柴田大佐の偵察機9機、第四編隊長近藤(兼)少佐の同9機、第五編隊長近藤(三)少佐の九一式戦闘機13機、第六編隊長立山少佐の同12機、第七編隊長佐川中佐の九三式単軽5機の合計73機;下志津機は所沢にて所沢機と上空集合し、立川へ;立川機はそれを見て離陸し、全機は多摩川沿いに南下、丸子渡し付近で左折し、丸子−板橋兵器庫を直行して分列隊式に |
昭和11年01月07日 | 威武天地を圧し 空中分列式の豪華 | きのう予行演習見事終わる | 飛行第五連隊;観兵式空中分列式予行 |
昭和11年01月09日(1) | 鳥人雪線を行けば | 赤倉に描く 爆笑スキー連隊 | 飛行第五連隊;鳥人にスキーは効果多いと、航空本部が飛行連隊に推奨;年末年始に新潟県赤倉へ;飛行第五連隊からも40名参加、一番転んだのが教育主任下田龍栄門少佐 |
昭和11年01月09日(2) | 立川の空軍精鋭 見事銀翼陣を展開 | きのう大観兵式へ参加 | 飛行第五連隊;所沢・下志津両飛行学校;徳川中将機を先頭に73機;10時50分、玉座上空にて分列行進;11時15分に帰還、午後は休養 |
昭和11年01月09日(3) | 航空本部の有馬少佐ひそひそ話 | | 航空本部の有馬少佐、立川憲兵隊分遣隊を訪問、打ち合わせ;オリンピック村候補地に昭和村が選ばれていることに関して |
昭和11年01月10日 | ”天晴れ若人”が 営門くぐる日ぞ | きょう軍都に国旗高し | 飛行第五連隊;初年兵入隊;ここ数年の二十日の入隊日を、十日に |
昭和11年01月11日 | ”掻込め”のラッパ! 中食には鯛と赤飯 | 新兵さんは元気一杯 | 飛行第五連隊;新兵入隊;正午の掻込めのラッパで、鯛と赤飯の中食に箸をつけるも、喉を通らず |
昭和11年01月12日 | 似ている筈 | 西郷君、飛五に入営 | 飛行第五連隊;西郷さんの弟の従道侯の孫・道親君、飛行第五連隊整備隊に幹部候補生要員として入隊;昨年、横浜高工を卒業後、満洲航空輸送会社奉天工廠に就職;在学中に、航空研究部員としてアブロ、アンリオ、石川島R2、R3の4種に20時間近く乗っている |
昭和11年01月14日 | 飛五の入隊式 | | 飛行第五連隊;入営兵291名の入隊式 |
昭和11年01月16日 | むさしの | | 石川島飛行機製作所;米海軍武官のオフステイ少佐、ワックス大尉、カイリア中尉の三氏、を見学 |
昭和11年01月17日 | 色めく軍都 | 軍縮会議の決裂に | 軍縮会議決裂に、立川の町に緊張走る |
昭和11年01月18日 | 秩父颪ものかは 初年兵の駆足 | | 飛行第五連隊;入営1週間の初年兵の駆け足 |
昭和11年01月21日(1) | むさしの | | 石川島飛行機製作所;3月に小学校卒業の少年約50名を、見習工として採用に |
昭和11年01月21日(2) | 診療所の拡張に 町医の心配 | 立川、石川島製作所 | 石川島飛行機製作所;職工診療所を拡張、職工家族まで診療に;町医には影響ないように対策 |
昭和11年01月22日 | 耐寒訓練飛行 | | 飛行第七連隊;耐寒航空訓練、立川飛行場を本拠に;新鋭重爆撃機3機を、弘中少佐指揮官で |
昭和11年01月25日 | 所沢機大破 東村山に不時着 | 小谷操縦士は重傷 | 所沢飛行学校;雇員小谷八郎右衛門氏、九二式偵察機の訓練中に、故障発生により不時着;一命はとりとめる見込み;(作業者注:記事写真の方向舵に日の丸が見える) |
昭和11年01月26日(1) | 立川地方 | | 飛行第五連隊;大雪に、航空技術研究所も飛行中止に |
昭和11年01月26日(2) | むさしの | | 陸軍航空技術研究所;山岳部を組織、湯沢布場スキー場で発会式を兼ねたスキー会を開催に;飛行第五連隊の篠原少佐ら、名誉部員に推薦され同行 |
昭和11年01月29日(1) | 飛五射撃演習 | | 飛行第五連隊;第二大隊、明野での射撃演習に、九一式戦闘機12機で;目標機として、八八式偵察機3機も |
昭和11年01月29日(2) | 鳥人スキーヤー | 赤倉に湯沢に | 航空技術研究所;藤田雄蔵大尉、横山八男大尉;飛行第五連隊の篠原少佐夫妻の記念写真;湯沢 |
昭和11年01月29日(3) | 求婚の女群に ”飛五の独身”敗退 | 此度は荒蒔中尉 | 飛行第五連隊;第三中隊の荒蒔義次中尉、東京市世田谷の三井社員和田氏三女貞子さんと結婚;前下志津飛行学校長、荒蒔義勝中将の御曹司;2月1日から半年、明野飛行学校へ甲種学生(教官要員)として分遣に |
昭和11年02月01日(1) | 二月の古よみ | | 飛行第五連隊;行事予定 |
昭和11年02月01日(2) | 鳥人の息昴し | 飛五耐寒飛行了る | 飛行第五連隊;第二中隊の払暁耐寒飛行、25日〜31日に、遠藤大尉指揮にて挙行;機上勤務者は電熱被服を使用せず、地上勤務者は一切の火気を置かず;柴田連隊長、3日間飛行機に搭乗、連隊に宿泊も |
昭和11年02月02日 | 『石川島』少年工 採用の打合 | 八王子の職業紹介所で | 石川島飛行機製作所;黒岩重夫氏、八王子職業紹介所を訪れ、本年度少年工採用につき打ち合わせ |
昭和11年02月05日(1) | 満洲国から景雲章 | 飛行第五連隊六勇士へ | 飛行第五連隊;満洲国から次の6名に景雲章授与、第一大隊長篠原直夫少佐、本部付栗原勝之助少佐、同田村高大尉、同足立誠一大尉、第二中隊西ヶ谷武正少尉、所沢飛行学校中野和雄曹長 |
昭和11年02月05日(2) | 故浜中航空曹長 名誉の村葬 | 廿五日、国分寺小学校 | 千葉飛行隊;浜中航空曹長、耐寒演習中にトラック事故により殉職 |
昭和11年02月07日 | 牛車うごく | 立川飛行場の除雪 | 飛行第五連隊;前の雪が解けない内にまた大雪;数台の牛車で除雪;除雪せねば飛べないのは、開設以来の珍事? |
昭和11年02月11日 | 陸空軍の母体 | | 陸軍の定期異動;陸軍航空技術研究所、伊藤周次郎少将が中将に、第二課長の香積見?大差が少将に昇進内定 |
昭和11年02月12日 | むさしの | | 飛行第五連隊;初年兵の単独外出 |
昭和11年02月14日(1) | 府道拡張悩む | | 立川町技術部通りの府道拡張;大部分の居住者が引っ越すも、地主中の大部分が府にの買収価格に応じないため、拡張工事に着手できず |
昭和11年02月14日(2) | 空軍前進 | 立川飛行連隊が夜間 新機軸の演習 | 飛行第五連隊;立川−大田原間に飛行場前進設定と耐寒自動車夜間強行軍;第一、第二中隊の地上勤務員百余名;24日の午後6時に立川を出発、大田原に;25日朝に立川を出発する偵察機6機の離着陸に支障ないよう整備にあたる;鉄道のない場所の敵前飛行場前進動作 |
昭和11年02月20日 | 断じて粛清 | 空から宣伝 | 総選挙;サルムソン? |
昭和11年02月26日 | 輝く立川飛行場 | | 陸軍航空技術研究所;陸軍航空支廠;軍事参議官朝香宮、東久邇宮両殿下、雪の残る立川飛行場に御成り;林、阿部、荒木、西、植田、寺内の6大将とともに視察;九二式偵察機? |
昭和11年03月01日 | 三月の古よみ | 立川地方 | 飛行第五連隊;行事予定 |
昭和11年03月04日 | 晴れの任官 | | 飛行第五連隊;士官候補生の四氏、少尉に任官;航空特務曹長、福山米助、鈴木正雄、手塚小松、岡本宗一 |
昭和11年03月06日(1) | 航空関係者にも 女性の活躍 | 立川航空支廠少年工 | 陸軍立川航空支廠;少年工男子約30名と女子8名の募集に、120名と22名の応募;女子は来年たくさん採用の方針と、石水総務課長 |
昭和11年03月06日(2) | シェパード赴任 | 立川航空支廠から 熊谷の陸軍油倉庫へ | 陸軍立川航空支廠;陸軍立川航空支廠を警備する軍用犬シェパード種、2匹の夫婦から9匹の一家へ、数日前に5匹の子供誕生;そのうちの2匹を、熊谷の陸軍油倉庫へ派遣と決定 |
昭和11年03月06日(3) | むさしの | | 陸軍立川航空支廠;10日の陸軍記念日に遥拝式、閲兵分列後に総会、午後に小宴 |
昭和11年03月10日(1) | 飛五進級異動(七日付) | | 飛行第五連隊;進級と異動;森、鈴木両大尉が大隊副官と本部付に入れ替わり、他 |
昭和11年03月10日(2) | 伊藤新中将 | | 陸軍航空技術研究所;伊藤周次郎中将、初登場;無天組で中将に昇進は異数の出世 |
昭和11年03月11日 | むさしの | | 飛行第五連隊;陸軍記念日の10日、演習を休み、営内で静粛裡に祝う;(作業者注)二・二六事件の影響もあるか?、八王子市でも国旗を揚げただけのさびしさと、同じ「むさしの」内にある |
昭和11年03月12日(1) | むさしの | | 石川島飛行機製作所;少年工、支廠より1日早く、採用人員決定 |
昭和11年03月12日(2) | 少年工就職戦 | | 陸軍立川航空支廠;少年工採用試験、11日に開始;小学校長からの推薦者130名から成績によって呼び出した63名に、身体検査、試問等 |
昭和11年03月13日 | 岩倉少尉殿 | 彼が軍人になるまで | 飛行第五連隊;明治維新の元勲岩倉公の妹の孫である岩倉具邦少尉、飛行第五連隊に入隊;変り種の経路;慶応を中退して、民間飛行士になり、その後フランスに渡った後、士官学校に入り、各務ヶ原の飛行第一連隊付から飛五へ;アブロ、アンリオ、モーラン(作業者注 モラーンソルニエか?)、石川島R3、乙一、甲四、八八、九一戦、九二戦等で、900時間 |
昭和11年03月18日 | 飛五検閲 | | 飛行第五連隊;畑航空本部長の飛行第五連隊検閲、17日、宿舎の航空寮から飛五入り |
昭和11年03月19日 | むさしの | | 飛行第五連隊;畑航空本部長の検閲、成績良好で終了 |
昭和11年03月21日(1) | 春の大空に描く アクロバット | 飛行五連隊の”雛鳥” | 飛行第五連隊;伍長勤務、上等兵の階級で配属の第一中隊の宮川新吉、第二中隊の井上卯太郎、第三中隊の中村静雄、第四中隊の須藤徳弥;今年12月に伍長に任官の予定 |
昭和11年03月21日(2) | むさしの | | 飛行第五連隊;見学シーズン;稲城郡青年学校150名、神奈川県某青年学校60名、立川高女109名、青梅小学校850名の計1170名の今年第一の記録 |
昭和11年03月27日 | 軍需インフレ | | 中島飛行機製作所;西荻窪の工場の一部を、田無町発動機試験所に隣接して移転することに;秘密裏に土地測量、町当局との折衝していたが、いよいよ近く具体化のため、試験所に隣接の1万坪の土地を買収に |
昭和11年03月29日 | ”生字引”去る | 飛五から民間会社へ | 飛行第五連隊;第四中隊の古川文七特務曹長、任官退職し、蒲田の宮田航空機会社へ;大正9年に兵、同12月に飛行第一連隊に入営、大正11年に飛行第五連隊へ赴任、同年12月に伍長へ任官以来、飛五一筋 |
昭和11年04月01日 | 四月の暦 | 立川地方 | 飛行第五連隊;行事予定 |
昭和11年04月05日 | 飛五へ巡視 | 香月近衛団長 | 飛行第五連隊;新近衛師団長香月清中将、飛行第五連隊と立川衛戍病院を初度巡視 |
昭和11年04月07日 | むさしの | | 飛行第五連隊;第一大隊、第二大隊機総出の射撃演習、銚子海岸で18〜28日の間;柴田連隊長総指揮 |
昭和11年04月15日 | むさしの | | 飛行第五連隊;第一大隊、第二大隊、下志津で近衛第二旅団と連合演習;その後、19日から銚子海岸での射撃演習;29日の靖国神社大祭に、飛五から相撲と剣道に出場 |
昭和11年04月16日(1) | むさしの | | 飛行第五連隊;近衛旅団との連合演習、戦闘偵察機15機揃って、下志津へ |
昭和11年04月16日(2) | 飛行場の自殺者 | | 立川飛行場;芝生に寝転んで、自殺を計る;軍医が駆けつけるも、重態 |
昭和11年04月17日 | むさしの | | 立川飛行場;自殺者、16日朝に気がつき、長野県南安曇郡穂高村出身の飯沼澄三くん(23)と身元判明 |
昭和11年04月19日(1) | 愈々最後の引越し | 立川航空支廠 | 陸軍立川航空支廠;所沢からの最後の引越し;残った分は、航空技術学校へ引き渡し |
昭和11年04月19日(2) | むさしの | 明朗は健康から | 陸軍立川航空支廠;数百名の従業員に、能力向上と明朗性を与えるにはスポーツが一番と就業規則化し、全員に選定;降雨でない限り、休憩時間は全員屋外で |
昭和11年04月19日(3) | 軍用犬の塚 | 立川に建立 | 陸軍立川航空支廠;シェパード種の親犬フェター(牡)、3月31日に死亡;過般、各務ヶ原から転勤して間もなく死亡したドーベルマン種のトミー(牡)とラン(牝)の2頭とともに、支廠内の墓地に軍用犬の塚を設けることに;18日から工事 |
昭和11年04月19日(4) | 町から村から | 西多摩 | 陸軍立川航空支廠;熊川油倉庫は、8月中旬に落成式 |
昭和11年04月22日 | ”鉄の荒鷲”訓練 | 少年航空兵五十名が立川で 一ヶ月で専門家養成 | 熊谷飛行学校;陸軍第二期少年航空兵100名、新設飛行場の芝生が根付く季節のため使用できないことから、50名ずつ立川と各務ヶ原で5月18日まで教育へ;使用機は、過般制式機に決定した九五式一型練習機の新品 |
昭和11年04月26日 | 村山の軍用地は 待望の爆撃場か | 立木の伐採も終った | 近衛師団経理部選定買収済みの砂川村五番地先北方の村山村字中藤分山林5万坪、立木の伐採終了;待望されていた爆撃場か;立川、所沢、熊谷からの中心地で、爆撃場として便益 |
昭和11年04月28日(1) | 晴天に熱球は唸る | 立川野球リーグ戦 | 東京日日新聞社後援立川野球リーグ;26日に航技(陸軍航空技術研究所)対立航(陸軍立川航空支廠)の初顔合わせ、他1試合;航技が辛勝;立航は総務課長の石水少佐が軍服姿で、航技は庶務班井上少佐が背広姿に4歳の愛嬢連れで、観戦 |
昭和11年04月28日(2) | むさしの | | 飛行第五連隊;今年から新しく陸軍が採用する操縦幹部候補生;飛五からは1月入隊の岩井良くん(明大卒業、三等飛行士)に、5月1日入隊予定の太田稔くん(立命館大卒業、二等飛行士)が加わる;10日に、熊谷飛行学校へ入校の予定;航空支廠勤務の日野町・土方フジさん(19)、一円を衛戍病院の傷病兵に |
昭和11年04月29日 | むさしの | | 飛行第五連隊の今年度下士官候補生、笠井三郎くんら26名に決定;飛行第五連隊第二中隊の富樫正治伍長、飛行場での作業中にプロペラの逆回転で、頬に10日間の負傷 |
昭和11年05月01日 | 五月の古よみ | 立川地方 | 飛行第五連隊;行事予定 |
昭和11年05月02日 | 立川挙げて悼む 大空の参事 | 梅津少尉遂に絶命 | 飛行第五連隊;第四中隊の本村孝治中尉の九一式戦闘機(553号機)と梅津良二郎少尉の九一式戦闘機(536号機)の空中衝突事故;本村中尉は落下傘で無事も、梅津少尉機は火災を起こし墜落;重傷で立川衛戍病院に収容されるも、絶命 |
昭和11年05月03日 | 梅津中尉連隊葬 | 飛五格納庫で挙行 | 飛行第五連隊;梅津中尉の連隊葬、今日3日に第四中隊格納庫で挙行 |
昭和11年05月05日 | 飛五の連隊葬 | | 飛行第五連隊;梅津中尉の連隊葬、第四中隊格納庫で挙行;参列者、約2,000名 |
昭和11年05月06日 | 飛五見学 | | 飛行第五連隊;フランス大使館駐在武官、マックス・ブルイヤー氏、下田少佐の案内で飛行第五連隊を見学;20日にはアメリカ大使館駐在武官が来隊予定 |
昭和11年05月08日(1) | 日本一周 ”曳航”グライダー 三多摩の大空へ | 出現は十二日の予定 | 東京日日新聞社;65周年記念の日邊(作業者注 日本−ベトナム)親善飛行と東京−大阪間グライダー無着陸飛行懸賞に、グライダーの日本一周曳航飛行追加;ドイツから輸入のゲッピンゲン一型 |
昭和11年05月08日(2) | 期待される分遣隊の拡張 | 警察のない立川町 | 空の軍都立川町の軍警察;大正11年以来の分遣隊、特務曹長以下6人の人員;拡充の見込み、警察のない立川町として拡充に期待 |
昭和11年05月08日(3) | グライダーの話 空の近代感覚 | スマートな時代の寵児 | グライダー解説;NSV、日本帆走飛行連盟;ヒルト氏 |
昭和11年05月08日(4) | むさしの | | 立川陸軍航空支廠;廃品となった飛行機1台を用いて、飛行場で点火して消化演習 |
昭和11年05月10日 | 三多摩の大空へ 歴史的な一頁 | グライダー来る日 | 東京日日新聞社;東京日日新聞社主催のグライダー曳航日本一周飛行;曳航機に松下一等飛行士と小島機関士、グライダーに志鶴飛行士;11日に羽田から神奈川県を通過後に調布、立川、八王子、原町田を訪問の予定 |
昭和11年05月12日(1) | 赤トンボに曳かれ グライダー出現 | 機影に挙がる地上の歓呼 快晴の多摩の大空へ 通信筒を落下 | 東京日日新聞社;東日65周年記念事業の1つ、グライダー曳航の日本一周飛行;本社赤トンボ(作業者注 写真では複葉機);八王子上空で八王子市長宛てのメッセージ筒を投下 |
昭和11年05月12日(2) | グライダー ”僕等、私達”の感想 | 三多摩の空に迎えて | 八王子尋常高等小学校生徒の感想 |
昭和11年05月16日 | 少年航空兵 | | 熊谷飛行学校;4月18日より立川で訓練中だった第二期少年航空兵、19日に熊谷飛行学校に帰る |
昭和11年05月17日 | むさしの | | 飛行第五連隊;参謀次長西尾寿造中将、飛行第五連隊を訪問・視察 |
昭和11年05月19日 | 懐かしんの熊谷へ 少年航空兵は帰る | 立川で一ヶ月鍛えて | 熊谷飛行学校;4月18日より立川で九五式練習機をもって訓練中だった第二期少年航空兵、今日、熊谷飛行学校に帰る |
昭和11年05月20日 | むさしの | | 立川の4チームで構成されたオール立川軍(野球チーム)のユニホーム出来る;薄クリーム地に、マークは空色の戦闘機に「全立川」の三文字 |
昭和11年05月22日 | むさしの | | 立川陸軍航空支廠;長嶺航空本部長の初度査察20から21日に、佐藤支廠長が碑文を書いた軍用犬の立派な塚、このほど完成、近日中に落成式 |
昭和11年05月23日(1) | 航空研究大会第一日 飛行第一連隊営内で 優良青年隊編成 | 空軍の威容に感激しつつ 露営地に夢を結ぶ | 東京日日新聞社;東京日日新聞社主催の青年航空研究大会、各務ヶ原陸軍飛行場で;三多摩からは5名が参加 |
昭和11年05月23日(2) | むさしの | | 飛行第五連隊;幹部実設演習、21日夜より全将校参加で開始、23日終了;水野廉太郎氏ほか150名、27日、飛行場を見学;飛五と衛戍病院の下水は病院西側の溜に流しているが、、降雨の度に汚水氾濫のため、深さ10mに掘り下げ工事を開始 |
昭和11年05月24日 | 航空研究大会第二日 空に轟く爆音 | 地に誓う”若き血” きのう猛訓練開始 | 東京日日新聞社;東京日日新聞社主催の青年航空研究大会開会式;高石本社主筆の話、第一飛行団長江橋英次郎少将・航空本部長畑俊六中将の訓示、岐阜県知事の祝辞ら |
昭和11年05月26日(1) | 尊い体験を基礎に 火を吐く座談会 | 四日間の航空研究大会終る | 東京日日新聞社;東京日日新聞社主催の青年航空研究大会、24日、午後7時から座談会;江橋少将の臨席 |
昭和11年05月26日(2) | 大空の犠牲 | 小島隆二君 佐藤昇君 | 館山海軍航空隊第五分隊第二班の小島隆二航空兵曹(南多摩郡鶴川村小野路宿)・館山海軍航空隊所属機乗組員佐藤昇二等航空兵曹(南多摩郡境村相原)、朝鮮満洲国境付近で遭難・殉職 |
昭和11年05月26日(3) | むさしの | | 飛行第五連隊;第三中隊の高橋国雄特務曹長、九一式戦闘機(567号機)の着陸の際、転覆・機を破損;特務曹長は無事 |
昭和11年05月27日 | 罪は女性に | 飛五独身クラブ受難 | 飛行第五連隊;飛五の未婚青年将校が組織する独身クラブ、顧問・原田潔大尉、会長・森正光大尉、幹事・足立誠一大尉の結婚による辞職・部員失格という、創設以来の大ニュースを発表 |
昭和11年05月28日 | 慰問・白衣勇士 | | 飛行第五連隊;立川女子青年団、27日に衛戍病院を慰問後、飛五を訪問・営内見学し、麦飯を体験 |
昭和11年05月29日 | ”軍犬塚”成る | 立川航空支廠に | 立川陸軍航空支廠;28日、軍犬塚が完成し、航空支廠の移転完了祝賀会当日に除幕式 |
昭和11年05月30日 | むさしの | | 飛行第五連隊;29日、特業検閲第二日、機関銃及び高射機関銃を検閲;29日、珍しいプウ(空の虱)が飛来 |
昭和11年05月31日(1) | 五月の古よみ | 立川地方 | 飛行第五連隊;行事予定 |
昭和11年05月31日(2) | むさしの | | 飛行第五連隊;2特業検閲第三日、無電手、気象観測手等を検閲、特に飛行中の機上と地上の連絡飛行等は好成績 |
昭和11年06月03日 | グライダーの母 | | 陸軍航空技術研究所;グライダー曳航機クレム機を、航空局を経て、日本帆走飛行連盟に払下げ;連盟嘱託の東日羽太飛行士、須田機関士で、羽田まで空輸;東日計画の西日本一周帆走飛行の曳航機に |
昭和11年06月05日 | 立川銀座を阻む 強腰地主に”断” | 愈々土地収用法適用か | 立川技術部通りの拡張工事;電柱が通りの中央に残る技術部通り;土地収用法の適用か? |
昭和11年06月09日 | 飛行隊見学 | | 飛行第五連隊;愛国婦人会荏原支部の30名、見学 |
昭和11年06月11日 | 自動車行軍 | | 飛行第五連隊;11台(乗用2、貨物7、側車2)の自動車行軍;立川−平塚−箱根−沼津−大宮−河口湖−甲府−笹子−上野原−立川の353km;福武少佐指揮官に、初年兵特業手に山岳地帯の行軍習熟のため |
昭和11年06月13日 | 飛行隊見学 | | 飛行第五連隊;豊島師範学校の来年度卒業生250名、横井少佐の引率で見学;甲府高等女学校の150名も、同日見学 |
昭和11年06月16日 | 空に還った日 | ”鳥人”の家族に嘆き 検査工の遭難後報 | 陸軍立川航空支廠;立川町芝中地先の麦畑に墜落、重傷後死亡の検査工後備航空兵曹長、小野武俊氏;航空支廠、立川移転後初の犠牲、中央線以南に墜落も最初;(作業者注)機種不明も、機体番号は1164号 |
昭和11年06月17日(1) | 空に殉じた | 小野氏に栄え | 陸軍立川航空支廠;雇員小野武俊氏、御菓子料賜り、現役軍人待遇;17日午後、庁内東側第二格納庫で告別式;大正8年の補給部創設以来、初の犠牲者 |
昭和11年06月17日(2) | 空中射撃演習 | | 飛行第五連隊;第一大隊の第二次空中射撃演習、20日〜28日に銚子海岸で;篠原第一大隊長を指揮官に、偵察機12機で |
昭和11年06月18日(1) | 沿道奉拝者 | 立川駅御通過時刻 | 飛行第五連隊;皇太后陛下の多摩御陵参拝お召し列車の通過に、飛行第五連隊はじめ各団体、立川駅ホームにて迎送 |
昭和11年06月18日(2) | 鳥人を送る | きのう小野氏告別式 | 陸軍立川航空支廠;雇員小野武俊氏の告別式;庁内東側第二格納庫で執行;支廠員ら1,000名参列 |
昭和11年06月19日 | 皇太后陛下 先帝の御陵に 暫し御黙祷 | 沿道に各団体奉迎送 | 飛行第五連隊;皇太后陛下の多摩御陵参拝お召し列車の立川駅通過;飛行第五連隊からは柴田連隊長以下全将校に、中島町長ら、立川駅ホームにて迎送 |
昭和11年06月24日(1) | 空都夜の壮観 | | 飛行第五連隊;22〜23日の両夜に、空陸攻防戦;九一式戦闘機10余機に、高射第二連隊の3基の照空燈;照空燈は、砂川、国分寺、谷保村の山中に |
昭和11年06月24日(2) | 征空への態勢 | | 飛行第五連隊;7月1日よりの第二大隊の野外航法;佐藤大尉指揮の第四中隊の九州関東間9都市連絡飛行;原田大尉式の第三中隊の東北飛行 |
昭和11年06月26日 | ”碧空の戦艦” | 九三重爆の威容 | 飛行第五連隊;飛行第七連隊重爆6機と九一式戦闘機10余機の連合演習 |
昭和11年06月28日(1) | 帝都防空演習に十五機出動 | | 飛行第五連隊;原田大尉指揮の九一式戦闘機15機による帝都防空宣伝飛行 |
昭和11年06月28日(2) | 偵察機帰還 | | 飛行第五連隊;明野で演習中の第一大隊の偵察機、27日に帰還 |
昭和11年06月30日 | 恩賜に輝く | 飛五、弥富哲夫少尉 | 飛行第五連隊;陸軍士官学校卒業の銀時計、弥富哲夫少尉(23)が拝受 |
昭和11年07月01日(1) | 七月のこよみ | 立川地方 | 飛行第五連隊;行事予定 |
昭和11年07月01日(2) | 梅雨空を衝く鵬翼 きょう”鳥人”試練へ | 東西日本を結ぶ壮挙 | 飛行第五連隊;九一式戦闘機14機による、東西日本各地との連絡飛行;第三中隊、570号機(原田大尉)、271号機(中川中尉)、184号機(山内曹長)、163号機(中村上等兵)、566号機(高橋特務曹長)、109号機(斉藤軍曹)、304号機(川井上等兵);第四中隊、344号機(武村大尉、佐藤大尉)、547号機(梅川曹長、福山少尉)、209号機(熊谷曹長)、177号機(松井軍曹)、183号機(本村中尉、武村大尉)、509号機(千葉軍曹)、158号機(須藤上等兵);羅針盤修正台上の184号機 |
昭和11年07月03日 | 濃霧を蹴って | 難路征服に主途 中に紅顔の”若鳥”三人 | 飛行第五連隊;西日本は、第四中隊の佐藤大尉指揮下、立川を出発、八日市、広島、大村と飛び、3日の復航は大村、熊本、松山、広島、明野、立川、館山、水戸、立川の合計2,600km;東日本は、第三中隊は立川を出発し、仙台、青森、新潟と飛び、3日の復航は新潟、直江津、高崎、立川、三崎、館山、銚子、立川、桐生、水戸、立川の合計2,200km;第一回少年航空兵の三人の上等兵も;方向舵にアラビア数字を描いた第四中隊機(183号機)の写真 |
昭和11年07月04日(1) | 箱根上空に散った 兄の志を相伝 | 懐かし、飛五に岩橋君 | 飛行第五連隊;岩橋見習士官、士官学校を卒業して第三中隊に配属;昭和7年7月26日に箱根山中で墜落し、殉職した故岩橋軍曹の弟 |
昭和11年07月04日(2) | 荒天を征服 『東北班』の誉れ | きのう三中隊機帰還 | 飛行第五連隊;3日、第三中隊の東北日本強硬飛行、立川に帰還;163号機の方向舵に「3」の写真 |
昭和11年07月05日 | 雲上の攻防戦に アルピニスト慄然 | きのう西日本班帰還 溌剌”若鳥”の意気 ただいま戻りました | 飛行第五連隊;西日本班、第四中隊の戦闘機6機、偵察機1機;少年航空兵須藤上等兵の敬礼 |
昭和11年07月11日 | 香月師団長 | 飛行連隊検閲 | 飛行第五連隊;香月師団長、随時検閲 |
昭和11年07月12日(1) | 石川島飛製所で 突如、工賃切下 軍需景気に大嵐 | 従業員千二百名驚く | 石川島飛行機製作所;職工の請負単価を、約三割方切下を決定;納入品の単価低下、各部による単価相違を割の良すぎるものは削って |
昭和11年07月12日(2) | 立川飛行機製作会社と改称 | 十六日株主総会 | 石川島飛行機製作所;16日の株主総会で、名称変更を決定の予定;住友財閥の支援等で、200万円を倍の400万円に増資;立川飛行機製作株式会社に |
昭和11年07月15日 | 田中少将殉職 きょう一周年 | 美しい追悼文出来る | 飛行第五連隊;空都の父、田中少将の殉職から1周年;14日に建碑された多磨墓地の霊前に参拝;217ページの追悼文 |
昭和11年07月16日 | 多摩川殉職地で 田中少将一周忌 | | 飛行第五連隊:前飛行連隊長田中毅一少将の一周忌;各中隊毎に多摩川の殉職地に参拝、将校下士は多磨墓地の霊前にて追悼式 |
昭和11年07月17日(1) | 灼熱の大空へ挑む 空中艦隊・夏の陣 | 爆撃に偵察に火の訓練! 気負う立川連隊 | 飛行第五連隊;猛訓練計画;渡河演習、東京・横浜・川崎の三都防空演習、戦闘隊射撃演習、爆撃射撃演習、空中勤務検閲、航法演習 |
昭和11年07月17日(2) | 町村筆供養 | 立川 | 飛行第三連隊、服部中佐以下の偵察機9機、立川飛行場を中心に猛訓練 |
昭和11年07月19日 | 町村筆供養 | 立川 | 技術部通りの拡張工事;立川で演習中の飛行第七連隊の爆撃機、18日朝に帰還 |
昭和11年07月22日(1) | 三都空襲の花形 | | 飛行第五連隊;飛行第七連隊との三都空襲の陣容、完了;21日、飛行第七連隊の重爆撃機5機、立川着;九三式重爆撃機 |
昭和11年07月22日(2) | 除隊兵就職斡旋 | | 飛行第五連隊;除隊兵下士150名のうち、就職希望の70名への就職斡旋;依頼状を発送 |
昭和11年07月24日 | 防空演習終わる | | 飛行第五連隊;三都防空演習;22日夜には夜間爆撃、23日夜と24日払暁の空襲 |
昭和11年07月31日(1) | 歴史に輝く「飛五」 ”空の将軍”麾下へ | 来月師団離脱の訓示 | 飛行第五連隊;近衛師団を離脱し、空の将軍徳川好敏中将麾下へ |
昭和11年07月31日(2) | 飛五爆撃演習 | | 飛行第五連隊;爆撃演習、柴田連隊長以下全員、偵察機全機で浜松で挙行に決定 |
昭和11年08月01日(1) | 八月の古よみ | 立川地方 | 飛行第五連隊;行事予定 |
昭和11年08月01日(2) | 輝く陸軍大臣賞 | 飛五瀧澤軍曹に栄え | 飛行第五連隊;連隊付軍曹の瀧澤清男君、下志津飛行学校を通信学生優等生で卒業;陸軍大臣賞を授与 |
昭和11年08月02日(1) | 航空兵団建設の”父” 空都の誇、伊藤将軍 | きのう陸軍異動発表 | 飛行第五連隊;連隊付軍曹の瀧澤清男君、下志津飛行学校を通信学生優等生で卒業;陸軍大臣賞を授与 |
昭和11年08月02日(2) | きょうから爆撃演習 | | 飛行第五連隊;浜松での爆撃演習のため、1日、先頭偵察20余機が浜松へ |
昭和11年08月08日 | 航空兵団長 初巡 | | 飛行第五連隊;徳川航空兵団長の初度巡視、15日に |
昭和11年08月09日 | ”禅翼一致”境を往く | 模型飛行機大会に弾む | 本社主催・大日本模型飛行機連盟賛助の模型飛行機大会、16日から千葉県谷津遊園地で開催;八王子市から八幡町の二見屋洋品店主の谷澤武治氏参加;一昨年の関東大会で3位入賞 |
昭和11年08月13日 | 飛行機工登竜門 | 航空支廠で募集 | 立川陸軍航空支廠;12日、飛行機工数十名の募集を発表 |
昭和11年08月16日 | 空の将軍 徳川中将を迎え | 翼の勇士妙技展開 | 飛行第五連隊;徳川航空団長の隷下に属した飛五の初度巡視 |
昭和11年08月22日(1) | ”厄の金曜”空の悲歌 哀れ二鳥人殉職 | きのう立川機墜落 | 飛行第五連隊;川崎在の玉川で墜落の第一中隊偵察機、林英象中尉と月野木見習士官、殉職;発動機故障から降下中に、高圧線に触れて墜落 |
昭和11年08月22日(2) | 除隊兵に 就職開始 | 立川連隊で第一回打合 | 飛行第五連隊;満期除隊兵中60名が求職;東京主苦行紹介所軍人部係員が連隊に出張して打ち合わせ |
昭和11年08月22日(3) | 町村筆供養 | 立川 | 飛行第五連隊;第四中隊長原田潔少佐と安倍治子さんの結婚式と披露宴、29日に軍人会館で |
昭和11年08月23日 | 亡きニ君偲び 涙の追慕! | きょう殉職二将校連隊葬 | 飛行第五連隊;林大尉と月野木少尉の連隊葬、第一中隊格納庫で今日挙行 |
昭和11年08月25日 | 飛行機工の体格低下 | | 今年の壮丁中、飛行機工に丙丁種が多かった |
昭和11年08月26日 | 二勇士を偲ぶ | 多摩河原で立川機墜落現場 | 飛行第五連隊;21日に墜落の林大尉と月野木少尉の初七日に、川崎市主催で慰霊祭;飛行第五連隊からも谷内少佐ら多数参列;川崎市の手で墜落地点に、標木が建てられるはず |
昭和11年08月27日 | 町村筆供養 | 立川 | 立川飛行機製作所;南北に約6,000坪の敷地買収に;中島町長は地主を町役場に招き懇談 |
昭和11年08月29日 | 町村筆供養 | 立川 | 飛行第五連隊;金属電気工手の教育検閲、柴田連隊長により実施 |
昭和11年09月01日(1) | 九月のこよみ | 立川地方 | 飛行第五連隊;行事予定 |
昭和11年09月01日(2) | 町村筆供養 | 立川 | 立川陸軍航空支廠が公募した大工指物工の入所選抜試験、31日から開始、3日まで |
昭和11年09月02日 | 町村筆供養 | 立川 | 飛行第五連隊第一大隊の飛行場移動訓練、銚子(第一中隊)、太田原(第二中隊);立川町技術部通りの府道拡張工事、土地収用法を適用し、工事入札 |
昭和11年09月04日 | 我空軍に驚嘆 ”流石は日本” | 立川へ外国武官殺到 | 飛行第五連隊、;シャム国公使館付武官の2名、3日、飛行第五連隊と石川島飛行機製作所を見学;中華民国軍政部付の4名、立川町役場を見学 |
昭和11年09月05日 | 福島防空演習に立川機六機参加 | | 飛行第五連隊;福島県下の防空演習に第一大隊の偵察機6機が参加に決定 |
昭和11年09月08日(1) | 空中勤務者検閲 | | 飛行第五連隊;空中勤務者検閲に徳川航空兵団長来隊;八八式偵察1040号機 |
昭和11年09月08日(2)版 | 町村筆供養 | 立川 | 連隊前から立川飛行機製作所前の府道の拡張工事促進を陳情へ |
昭和11年09月10日(1) | 満州事変五周年 講演と映画会 | 立川五連隊記念の催 | 飛行第五連隊;18日に、満州事変五周年記念の講演と映画会 |
昭和11年09月10日(2) | 町村筆供養 | 立川 | 飛行第五連隊の中隊教練、9日から |
昭和11年09月13日 | 飛行場移動訓練好成績 | 小鳩重責を果す | 飛行第五連隊;上田方面で飛行場移動訓練、立川までの220kmを2時間足らずで小鳩が飛行 |
昭和11年09月18日(1) | よくやった 立川飛行連 | 当時を語る篠原少佐 | 飛行第五連隊;第一大隊長篠原少佐の談話 |
昭和11年09月18日(2) | 解隊記念十一月に決定 | | 飛行第五連隊;開隊記念日、5月1日を延期していたが、11月1日に決定 |
昭和11年09月19日 | 立川飛行隊意義深い日を送る | | 飛行第五連隊;18日、立川キネマで映画と講演 |
昭和11年09月20日(1) | 雨中、空の攻防戦 | | 飛行第五連隊;空中勤務者第二期教育検閲、戦闘と偵察の中隊全員;九一式戦闘機262号機、方向舵塗色 |
昭和11年09月20日(2)版 | 立川−新京無着陸 飛行記念スタンプ | | 立川郵便局、立川−新京感新航空路開拓に因み、22日とその後の2日間、小型記念スタンプを使用;スタンプ絵柄 |
昭和11年09月23日(1) | 軍都立川 明朗を取戻す | 大木憲兵分隊長の斡旋 | 飛行第五連隊と立川町、いき違いからの不快な対立的空気;憲兵分遣隊長の斡旋で21日に立川町側が軍関係者を翔翔亭に招宴 |
昭和11年09月23日(2) | 人気を浚った カーニバル祭 | 府立二商の運動会 | 八王子市冨士森グランドでの府立第二商業の運動会;本物に見える飛行機有 |
昭和11年09月24日 | 明朗に戻った立川の軍民 | 早くも連隊記念祭準備 | 明朗に戻った立川軍民、11月1日の連隊創立記念祭と前後に行われる航空支廠移転完了祝賀会を挙町一致で祝うことに |
昭和11年10月08日(1) | 命令一下・縦横に 機上連絡の妙技 | 飛五の無線電信演習 | 飛行第五連隊;立川飛行場を中心に関東一円に渡る空地連絡の無線電信演習;下志津から吉田少佐来隊 |
昭和11年10月08日(2) | 迷子の飛行機 | 吉田府中校長の気転 | 府中町小学校の吉田校長、校庭上空を旋回する飛行機からの通信筒「立川飛行場の方向を知らせ、少年飛行兵 小杉」を見て、石灰で方向を示した |
昭和11年10月09日 | 飛五除隊兵就職斡旋 | | 飛行第五連隊;颯波副官が求人方面に状況を確認;農は農への方針 |
昭和11年10月13日 | 飛五無電演習 | | 飛行第五連隊;無電演習、12日より開始;陸軍通信学校の吉富大尉参加;戦闘機・偵察機10余機が、立川を中心に半径50kmの空域で連絡通信演習 |
昭和11年10月15日 | 飛五創設記念祭 | 十一月一日ときまる | 飛行第五連隊;第15回創立記念祭、11月1日の行事決まる;航空神社で、殉職者慰霊祭;高等飛行の公開 |
昭和11年10月16日 | 立川飛行機製作所 突如十三名を解雇 | きのう発表す | 立川飛行機製作株式会社;13名の臨時工を回顧;臨時工は半年契約で、会社の都合で再契約しなかったもの |
昭和11年10月17日(1) | 除隊兵求人 | | 飛行第五連隊;東京芝区の萱場製作所から除隊兵採用申出 |
昭和11年10月17日(2) | 立川飛行機の 解雇問題 | 一般に平穏 | 立川飛行機製作所;月末まで約40名を解雇(15日の分を合わせると53名)と決定;採用時条件と2週間の手当に就職斡旋で、平穏 |
昭和11年10月20日 | 空都便り | 飛行隊行事 | 飛行第五連隊;大隊教練は20日より開始、偵察機12機(篠原第一大隊長式)と戦闘機14機(近藤第二大隊長指揮)は栃木県大田原へ;月末、近藤少佐指揮の九一式戦闘機10余機で立山付近で戦闘射撃演習 |
昭和11年10月21日_ | 空都便り | | 飛行第五連隊、萱場製作所と求職者が面談;立川飛行機、臨時工解雇の第2回分10名を解雇 |
昭和11年10月23日(1) | 寺内陸相の立川陸軍航空研究所視察 | | 立川陸軍航空研究所、寺内陸相の視察 |
昭和11年10月23日(2) | 空都の名犬「命子」 | | 陸軍航空技術研究所;構内夜警の軍用にシェパード牝4歳を飼養;命令を守る意味で、「命子」と命名 |
昭和11年10月24日 | 立川飛五に輝く 決死濃霧を衝く 悪路負けじ魂 | 殊勲の芳賀特務曹長 | 飛行第五連隊;太田原での大隊教練;自動車指揮官の芳賀特務曹長、猛烈な濃霧を突破し、太田原に到着 |
昭和11年10月28日(1) | 秋空の攻防戦 | 展開する妙技 立川飛五の演習 | 飛行第五連隊;太田原で戦偵演習;立川の根拠地を熊谷に前進し、足利付近で戦闘 |
昭和11年10月28日(2) | 優秀下士官昇進 | 立川飛五 | 飛行第五連隊;下士中の成績優秀者5名、少尉候補生に採用、12月1日にそれぞれ入校;陸軍士官学校へ浅川遼特務曹長、千葉吉太郎曹長、川上敏夫曹長:陸軍航空技術学校へ河村修作曹長、榊勲曹長 |
昭和11年10月29日 | 戦闘機勢揃い | 立川飛五戦偵演習 | 飛行第五連隊;戦偵連合演習第2日、戦闘隊は熊谷を離陸し、敵機(偵察機)と空中戦;正午に、立川に全機着陸;九一式戦闘機354号機、方向舵は無印で熊校機? |
昭和11年10月30日(1) | 飛五三中隊の実弾射撃演習 | | 飛行第五連隊;第三中隊、館山で実弾射撃演習;原田潔少佐指揮下、九一式戦闘機7機で参加 |
昭和11年10月30日(2) | 憧れの士官学校へ | 飛五の優秀准士官下士 | 飛行第五連隊;柴田連隊長に、入学許可されたことの挨拶 |
昭和11年10月31日 | 輝く創立記念祭 | きょう喜びの立川飛行第五連隊 | 飛行第五連隊;1日に創立記念祭;思い出の写真に、コストとルブリのブレゲー機を整備するシェスカミー及びシエン技師、秋山紋次郎少尉(昭和3年3月31日) |
昭和11年11月01日 | 十一月のこよみ | 立川地方 | 飛行第五連隊;行事予定 |
昭和11年11月02日 | ”立川飛五輝く式典” | 創立記念祭執行 | 飛行第五連隊;創立記念祭:靖国神社神官斎主にて飛行場東南寄りで殉職者慰霊祭,18機の戦偵機、慰霊祭会場上空を飛行;田中元連隊長婦人の玉串奉納 |
昭和11年11月04日 | 立川町府道の土地収用決定 | | 立川町技術部通り府道(94号);土地収用法適用により、府の提示額通りに価格決定 |
昭和11年11月05日 | 町村筆供養 | 立川 | 飛行第五連隊;5日に山梨県南都留郡三吉校103名、6日に八代郡石和校101名、7日に北都留郡棡原校150名、それぞれ見学 |
昭和11年11月06日(1) | 関東・東海の空に戦闘機活躍 | 飛五・飛七連合演習 | 飛行第五連隊;飛行第七連隊の島田連隊長指揮下の九三式重爆9機に同双軽2機同単軽1機との連合演習;近藤少佐指揮の九一式戦闘機16機;九一式戦闘機の方向舵に塗色なく、「星に矢」に見えなくもない |
昭和11年11月06日(2) | 武蔵野日記 | 殉職大尉の油絵 | 飛行第五連隊;8月31日に殉職の林英象大尉厳父から、大尉遺品の40号の油絵(九三重爆)を連隊本部に寄贈 |
昭和11年11月06日(3) | 飛五異動 | | 飛行第五連隊;1日付けで、荒薪義次大尉・浦中直市中尉・岩倉具邦少尉、所沢陸軍飛行学校へ異動 |
昭和11年11月08日 | 鳥人の”昼の灯台” 『吹流し』が屋上へ | 断然高くなり町民にも便利 立川連隊で工事開始 | 飛行第五連隊;将校集会所脇の吹き流し、連隊本部屋上に移動 |
昭和11年11月10日(1) | 立川衛戍病院改称 | | 立川衛戍病院、10日から立川陸軍病院へ改称 |
昭和11年11月10日(2) | 空都便り | | 立川飛行機製作会社、見習工50名の募集;飛行第五連隊の除隊兵就職斡旋、60名中55名が決定;5月に飛行第五連隊に入営し、熊谷飛行学校に分遣の予備下士23名、10日に除隊 |
昭和11年11月15日 | 飛五富士山麓演習 | | 飛行第五連隊;富士山麓の連合演習終了、秋季演習準備 |
昭和11年11月19日 | 空都便り | | 飛行第五連隊第四中隊の射撃演習、31日より平塚海岸で;英国武官、20日に飛行第五連隊を見学 |
昭和11年11月20日 | 空の勇士悲しき凱旋 | | 飛行第五連隊;ハルピン北方で殉職の飛行第五連隊山路次郎少尉の遺骨、20日に東京駅着;篠原少佐ら3氏が出迎え |
昭和11年11月22日 | 川越から届出 | 飛行機からの落物 | 飛行第五連隊;飛行第五連隊機の機上から紛失の写真や機関銃、川越警察署から拾得の連絡 |
昭和11年11月25日 | 飛五末吉大尉栄転 | | 飛行第五連隊;末吉忠昌大尉、長尾部隊に栄典と決定 |
昭和11年11月27日(1) | 空都便り | | 飛行第五連隊;神山正雄伍長ら8名が所沢飛行学校へ、岡本重宣伍長ら7名が熊谷飛行学校へ;何れも五十六期操縦学生として |
昭和11年11月27日(2) | 巣立つ空の勇士 | 皇国空軍の一線 | 所沢の陸軍航空技術学校の第一期技術生徒98名の卒業式、27日に |
昭和11年11月27日(3) | 見晴台 | | 飛行第五連隊;決起した内蒙の徳王の写真、飛行第五連隊の伴徳治中尉によってもたらされた;八八式偵察機に似た軍用機、3翔ペラ |
昭和11年11月29日(1) | 恩賜の冷酒を酌交して 『さあ飲め!』の除隊式 | きのう飛行五連隊 | 飛行第五連隊;二年兵除隊式、第一中隊格納庫前にて |
昭和11年11月29日(2) | 町から村から | | 飛行第五連隊;埜吉之助曹長、所沢陸軍飛行学校より28日に帰隊;筑紫大尉も27日に帰隊 |
昭和11年12月01日(1) | 十二月の古よみ | 立川地方 | 飛行第五連隊;行事予定 |
昭和11年12月01日(2) | 航空将校 移動 | 卅日発表さる | 飛行第五連隊異動、原田潔少佐は明野飛行学校教官へ、入田実大尉は第一中隊長へ、明野飛行学校教官・加藤建夫大尉は飛五第三中隊長へ;航空技術研究所移動、秋田熊雄大尉、飛行第六連隊へ |
昭和11年12月03日(1) | 陸軍移動 | | 飛行第五連隊;西郷従龍中尉は所沢飛行学校教官へ、吉田眞二中尉は明けの飛行学校教官兼研究部員へ |
昭和11年12月03日(2) | 下士兵の進級 | | 飛行第五連隊;下士官の進級;梅川亮三郎曹長ら、特務曹長に |
昭和11年12月03日(3) | さすがは若鳥 | 不時着を避く | 飛行第五連隊;青梅線に脚を接触の九一式戦闘機、前日着任の第二期少年航空兵の若山膳松上等兵が操縦;そのまま着陸 |
昭和11年12月08日 | 軍民融合の宴 | 十日立川町で | 航空技術研究所長伊藤中将、飛行第五連隊長柴田大佐、航空支廠長佐藤大佐ら、10日に立川町中島町長らを翔翔亭に招待、軍民懇談会を開く |
昭和11年12月11日 | 航空本部長視察 | | 古荘航空本部長、26日に飛行第五連隊を視察予定 |
昭和11年12月12日 | 町村筆供養 | | 米国武官ベミス大佐ら4名、11日、立川飛行機会社を見学 |
昭和11年12月13日 | 爆撃の練習場へ | 陸軍が買った村山の十万坪 | 陸軍が買った村山の十万坪は、爆撃練習場に使用;近衛師団から飛行第五連隊へ許可;狭く民家も近いことから、当面は演習用爆弾を使用 |
昭和11年12月15日 | 戦闘機逆立ち | | 飛行第五連隊;第四中隊松井孝軍曹、九一式戦闘機570号機を操縦し着陸の折、烈風に煽られて機首を地上に激突;軍曹は無事;方向舵・昇降舵は塗色 |
昭和11年12月16日 | 西日本一周飛行 きょう壮途へ | われ等の立尾川五機 | 飛行第五連隊;西日本九州一周飛行、16日に出発;各務ヶ原に着陸給油後、太刀洗へ |
昭和11年12月18日(1) | 行啓記念園 | | 飛行第五連隊;皇后陛下行啓記念園、柴田連隊長揮毫の秋川石完成 |
昭和11年12月18日(2) | ”耐寒機”飛来 | | 飛行第五連隊;第二中隊の耐寒機、18日に太刀洗から無着陸で立川へ飛来予定 |
昭和11年12月19日 | きょう帰還予定 | 西日本一周の立川機 | 飛行第五連隊;西日本雨のため、第二中隊の偵察機、18日の予定を19日に |
昭和11年12月20日 | 荒天をついて 二機はみごと帰還 | 一機は不時着、二機は引き返す | 飛行第五連隊;第二中隊遠藤大尉指揮の偵察機5機、太刀洗よりの帰還飛行;片倉中尉機と半谷特務曹長機は悪天候により太刀洗に引き返し、山田中尉ら2機は立川着、遠藤中隊長・篠原曹長機は神奈川県酒匂村の海中に不時着;九四式偵察機 |
昭和11年12月22日(1) | 飛五の連隊長検閲 | 廿六日 | 飛五;連隊長の専門教育検閲;第二中隊の偵察機運動、第四中隊の戦闘機基本射撃、第一中隊の偵察機機上相互通信、第三中隊の単機戦闘 |
昭和11年12月22日(2) | 立川の二機大阪に滞留 | | 飛行第五連隊;第二中隊の片倉中尉らの偵察機2機、雪のため大坂に滞在;22日に帰還予定 |
昭和11年12月23日(1) | 冬シャツを脱いで 耐寒飛行の体験 | 残りの立川機帰還 | 飛行第五連隊;第二中隊の残り2機、半谷特務曹長機と片倉中尉機、帰還;寒さ体験のため冬シャツを脱ぐも暖波;帰還時は寒波に襲われ、貴重な体験 |
昭和11年12月23日(2) | 航空本部長の飛五検閲 | | 飛行第五連隊;専門教育検閲、古荘航空本部長が来隊検閲 |
昭和11年12月24日(1) | 飛五初年兵の中隊割当 | | 飛行第五連隊;第一中隊30名、第二中隊29名、第三中隊30名、第四中隊20名、警備隊120名;幹部候補生資格者は52名 |
昭和11年12月24日(2) | 飛五の参賀 | | 飛行第五連隊;元日、連隊本部前で柴田連隊長が将士の参賀を受付ける |
昭和11年12月24日(3) | 商売往来 歳末の懐拝見 年は若くても実入は連隊長なみ | 年は若くても実入は連隊長なみ 賞与卅割をせせら笑う飛行機工 | 立川飛行機製作所;飛行機工の好景気、全盛期とはいかず |
昭和11年12月27日 | 空の托尾の豪華陣 | 本部長の検閲に六時間の演舞 | 飛行第五連隊;古荘航空本部長の本科専門教育視察;第二中隊機の各種編隊飛行、第四中隊の九一式戦闘機の攻撃演習、第一中隊機の無電通信連絡、加藤第三中隊長指揮の九一式戦闘機単機対単機の攻防戦 |
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