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乙式一型偵察機 飛行第五連隊は創設以来偵察連隊であり、その3個中隊(第一、第二、第三)の使用機が本機、即ち、大正7春年に川崎造船(当時)がライセンスを購入したサルムソン2A2である。(実質の導入は、大正8年の仏国航空団による) 本機はその使い易さから陸軍機の主役を務めており、大正12年の陸軍全部の飛行時間の61%(飛行回数では44%)を本機が占めている。 本写真は飛行第五連隊の格納庫内での撮影で、TOPページにも記したように方向舵に機体番号を標記していることから、昭和2年10月までの撮影と推察できる。 なお、満州事変に派遣された頃の機体には方向舵の塗粧(飛行第五連隊の部隊標識として、中隊毎に色わけして方向舵を塗りつぶしていた)が確認できる写真もあり、他の第五連隊機と同様に、本機も部隊標識を施されていたことが分かる。 |
甲式四型戦闘機 大正13年の俗に謂う「宇垣軍縮」により、陸軍は二個歩兵師団を解散した代わりに、航空部隊の充実を図った。その一つに、それまでの単一装備連隊を混成装備にすることがあった。 これにより偵察連隊であった飛行第五連隊も、大正14年5月に第三中隊が戦闘隊(戦闘機中隊)に改編され、この時の使用機が甲式四型戦闘機であった。 ただし、混成装備は単一装備に比して運用コストがかかったためか、2年後の昭和2年6月に戦闘中隊は廃止され単一装備の偵察連隊に戻ったが、1個中隊増の4個中隊装備に増強された。 本写真は、背景から飛行第五連隊格納庫前で撮影されたものと考えられるが、方向舵ではなく胴体に機体番号を標記しており、昭和2年11月以降の撮影であろう。 |
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八八式偵察機 昭和3(紀元2588、西暦1928)年に制式制定され、昭和4年から飛行学校に配備が開始され、翌5年からは部隊配備も始まった。川崎飛行機製だが、昭和5年以降は石川島飛行機でも転換製造している。 本機には昔の車のように正面が四角い一型と、のちに流線型に整形された二型がある。 飛行第五連隊では、昭和6年秋の満洲事変に向けた部隊派遣が行われており、実施的に部隊がいなかったこともあって、本型機の配備は行われず、昭和7年春に部隊帰還された後に本型機に改変されている。 そのためだけではなかろうが、陸軍航空統計を見る限り飛行第五連隊には二型が配備され、第二中隊がはじめに、遅れて第一中隊が本機を装備した。また、のちには軽爆撃機も配備された。 本写真はその軽爆撃機で、飛行第五連隊の格納庫内での撮影。本機にも方向舵の塗りつぶしによる部隊標記が施されていることが分かる。 |
九一式戦闘機 昭和6(紀元2591、西暦1931)年12月に制式制定され、甲式四型戦闘機の後継機として翌昭和7年から部隊配備されたのが、この九一式戦闘機である。 中島飛行機製だが、初期の頃から石川島飛行機でも、転換生産した。 昭和8年8月に飛行第三連隊(滋賀県八日市)の二個中隊と交換したことで、飛行第五連隊の第三中隊と第四中隊は戦闘隊に機種改変となり、本機を装備した。1中隊の定数は、予備機を含めて12機だった。 改変直後の写真でも、方向舵・昇降舵を塗装(彩色)していることが判明しており、中隊で色を分けていたことが分かっている。 本写真の場所は恐らく立川で、同じ写真が東京日日新聞の府下版(昭和11年1月5日)に掲載されていることから、その前までの撮影であることは言える。 |
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九四式偵察機 昭和9(紀元2594、西暦1934)年10月に制式制定され、主に八八式偵察機や九二式偵察機の後継として用いられた。 飛行第五連隊には昭和10年春から導入され、第一大隊(第一中隊と第二中隊)が装備した。1中隊の定数は予備機を含めて9機で、戦闘隊より少ないが、これは偵察隊に共通した機数である。 本写真は飛行第五連隊機であり、方向舵・昇降舵の塗りつぶしが見て取れるが、撮影場所・撮影時期は不明。 なお、昭和10年7月、熊谷飛行学校に視察に赴こうとした田中飛行第五連隊長乗機(歌代少尉操縦)が離陸後に多摩川河畔に墜落し、少尉とともに殉職している。その際の乗機が本型である。この時には、本型機はまだ数機しかなかったと、『立川飛行場史(中)』にある。 |
九五式戦闘機 本九五式戦闘機は、前出の九一式戦闘機や九二式戦闘機の後継機として、昭和10(紀元2595、西暦1935)年11月に制式制定されたもので、川崎飛行機製。 飛行第五連隊は昭和11年12月より順次機種改変の計画であったが遅れた。また翌年に入って日中戦争が勃発したことで、飛行第五連隊で外征部隊である飛行第二大隊(2個中隊)が編成された。中隊長の一人が加藤建夫中尉(当時)である。 この大隊は飛行第五連隊の二個中隊をそのまま転用していたが、編成時点も改変できておらず、出満直前の昭和12年5月に改変を終えた。このあたりは、田中林平氏の著作『』にその様子が描かれている。 編成元部隊である飛行第五連隊には留守隊だけが残ったこともあり、飛行第五連隊所属の九五式戦闘機の写真は未見。本写真は、飛行第二大隊の加藤建夫大尉と大隊機。 |