立川到着日 | 訪日機国籍 訪日機種 機体名(登録記号) |
飛行士 | 出発地 | 備考 |
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昭和2(1927)年 9月2日 |
ソ連 ツポレフANT-3 「ナス・オトヴィエート」号(RR-INT) ![]() 来日時の同機。立川の撮影かどうかは、確認できていない。 |
シェスタコフ操縦士、フファイエフ機関士 | 8月20日、モスクワ | 9月11日、立川を出発。大坂を経て帰還。 |
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昭和3(1928)年 3月31日 |
フランス ブレゲー19 「ナンジェッセ・コリ」号 ![]() 出発の際、飛行第五連隊格納庫前で準備中の同機。 |
デュドネ・コスト操縦士、ジョゼフ・ル・ブリ機関士 | 前年10月10日、パリ | サンフランシスコから船便にて、横浜に着。4月8日、ハノイに向けて出発。 |
昭和3(1928)年 7月11日 |
アメリカ フェアチャイルドFC-2W 「シティ・オブ・ニューヨーク」号(NX5501) ![]() 左から、コリアー、愛犬「テイルウィンド」、ミアーズ(『歴史写真』(昭和3年9月号)より) |
コリアー操縦士、ミアーズ(オーナー)、マスコット犬 | 6月29日、ニューヨーク | 世界一周最短時間記録を狙う飛行。大西洋を船で横断した後、シベリア経由し、7月11日に大阪に着。直ちに立川へ向かい、夜間着陸を敢行。直ちに機体を分解して、翌朝の横浜からの汽船でバンクーバーへ出発。 |
昭和3(1928)年 10月23日 |
ドイツ ユンカースW-33L 「オイローバ」号(D-1198) ![]() 立川に到着した際の同号(昭和3年10月24日付、東日府下版より) |
ギュンター・フォン・ヒューネフェルト男爵、リンドネル操縦士、レンゲリッヒ機関士 | 9月18日、デッサウ | 10月18日、悪天候により、府下矢口町下丸子平間の渡しの多摩川河川敷に不時着していたもの。 |
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昭和4(1929)年 5月11日 |
ドイツ クレムL25 「カメラート」号(D-1433) ![]() メルセデスベンツ博物館に現存の「カメラート」号(一部、レプリカ)(写真提供 義経浩之氏) |
バルトハウゼン男爵 | 8月10日、ベルリン | 大阪より飛来。 |
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昭和5(1930)年 4月7日 |
イギリス フォッカーF.Zb/3M 「メリーランド・フリーステート」号(G-AADZ) ![]() 日本飛行学校学区の格納庫前での同機。(『航空界の今昔』(昭和8年2月、日本航空研究会)より) |
ブラック(米国人)、その秘書に、KLMからチャ−ターの操縦士2人と機関士1人 | 2月9日、ロンドン | インド経由で飛来。機体も、KLMからのチャーター? |
昭和5(1930)年 7月23日 |
イタリア フィアットAS-1 (I-AAVE) |
ロンバルディ操縦士、コンパニーニ機関士 | 7月14日、トリノ | シベリア経由で飛来。コンパニーニ機関士は、大正9年のフェリラン中尉機の機関士として来日経験あり。 |
昭和5(1930)年 8月30日 |
ドイツ ユンカースA-50 「報知」号(D-3) |
吉原清治 | 8月20日、ベルリン | 代々木練兵場も経由したが、最終地は立川。 |
昭和5(1930)年 8月31日 |
アメリカ トラベルエア4000 「東京」号(NR4835) ![]() 立川飛行場で東飛行士、その母堂、出迎えの小泉逓相。(歴史写真より) |
東善作 | 6月17日、ロスアンゼルス | ロサンゼルス〜ニューヨーク(大西洋は船)、ロンドン〜シベリア経由で立川に到着。 |
昭和5(1930)年 11月24日 |
イギリス ブラックバーン ブルーバード (G-ABDS) |
ビクター・ブルース婦人 | 9月25日、ロンドン | ロンドン、ウイーン、ブタペスト、コンスターチノーブル、カラチ、ハノイ、香港、アモイ、上海、木浦、京城、大阪を経て、立川着。 |
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昭和6(1931)年 3月21日 |
フランス ファルマンF.190 「アルザ」号(F-ALAP) |
クリスチャン・メンシュ操縦士、ジョニー・ビュルタン機関士 | 3月2日、パリ | インド経由で飛来。帰路は26日に立川を出発し、4月10日にパリ着。 |
昭和6(1931)年 8月6日 |
イギリス デ・ハビランド プスモス 「JasonU」号(G-AAZV) ![]() 立川飛行場で東飛行士、その母堂、出迎えの小泉逓相。(歴史写真より) |
エイミー・ジョンソン、教官であるハンフリース操縦士 | 7月28、ロンドン | シベリア経由にて、立川に着。帰路は、8月24日に立川を発ち、9月9日ロンドンに到着。 |
昭和6(1931)年 8月6日 |
アメリカ ベランカ スカイロケット 「ミス・ビードル」号(NR796W) ![]() 立川飛行場の日本航空輸送会社第一格納庫前での「ミス・ビードル」号。 |
クライド・パングポーン、ヒュー・ハーンドン | 8月6日、ハバロフスク飛行場 | 北海道神威崎、函館上空を通過し、津軽海峡、大洗、犬吠埼を経て、未完成の羽田へ着陸。着陸五に立川へと指示された二人は、夕刻、立川に着。 |
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昭和13(1938)年 11月30日 |
ドイツ フォッケウルフFw200コンドル 「コンドル」号(D-ACON) ![]() 立川に到着の際の同号。(『同盟グラフ』より) |
ヘンケ大尉、モンロー大尉、ディーエベルグ、コーベル、コーネの3技師、フォッケウルフのユング役員 | 11月28日、ベルリン | 午後10時34分24秒、立川に着。飛行時間、46時間20分52秒。
本機はFw200の試作1号機で、当初は「ブランデンブルグ」号という名前だったが、D-ACONの登録記号を付与された時には、固有機体名も「コンドル」になっていたようである。(世界の傑作機No.175『フォッケウルフFw200コンドル』から ) |