最終更新日 2020-08-21
1.はじめに
 私の住む日野市旭ヶ丘には、戦前、競馬場がありました。
そのことはWebで知っていましたが、身近になったのは、多摩平の社会教育センターのロビーに展示してある写真パネルがきっかけでした。


 昭和39年撮影のその写真には競馬場のトラック跡がくっきりと映っており、そこを縦(南北)に分断する新しい道は、まだ北側しかできていないグリーンベルトでした。
その南端からトラックが円を描くあたりに、今の私の自宅があります。

 私は趣味から、昭和期の新聞から航空関係の記事を集めています。他のコーナーである「日野航空史」は、その流れです。
また、日野中央図書館で東京日日新聞(府下版)を見る時には、日野に関係する記事も極力集めるようにしていました。ここでは、八王子競馬場に関する新聞記事を披露したいと思います。


2.(その前に)八王子競馬場とは
 八王子競馬場には、初代と第二代があります。上の写真は、二代めです。
以下、八王子競馬場の歴史をWikiPediaから抜粋してみます。
開場と移転
 大正時代、当時の南多摩郡小宮村中野(現・八王子市中野町・中野上町付近)では、神社の祭礼の余興として「お祭り競馬」が催されており、東京や横浜などから見物客が集まるなど盛況であった。  このことから昭和2年(1927年)に地方競馬規則が制定されたことを受けて「多摩八王子競馬会」が設立され、翌年8月に競馬施行許可を受け、一周1,000m・幅16mの馬場と付属施設からなる八王子競馬場が小宮村中野に建設された。11月17日には、第1回のレースが行われた。
 その後、出走馬数・入場者数・売上高とも上昇し施設が手狭になったため、昭和9年(1934年)、小宮町と日野町日野新田(現在の八王子市高倉町・日野市旭が丘二丁目・六丁目付近)にまたがる総面積80,000坪の新競馬場が建設された。
 また、昭和12年(1937年)には、開催者が多摩八王子競馬会から「東京府馬匹畜産組合連合会」へと移管された。
戦中の八王子競馬場
 昭和14年(1939年)の「軍馬資源保護法」の施行によって、多くの地方競馬場が閉場したが、八王子競馬場は存続し、従来の競走は「鍛錬馬競走」に改められた。 鍛錬馬競走は、出走する農耕馬から軍用候補馬を選定し、戦地などに徴用するという名目であった。
 また、馬事の知識普及・宣伝も目的とされ、馬券が入場券1枚につき1枚(つまり1人1回しか馬券が買えない)方式は存続し、配当金も公認競馬(現在の中央競馬にあたる)並に引き上げられた。しかし戦局の悪化とともに開催は減少し、昭和19年(1944年)にはすべての開催が中止された。
戦後の八王子競馬場と終焉
 昭和20年(1945年)、太平洋戦争の終結によって競走は再開された。しかし軍馬資源保護法は廃止されたため、旧地方競馬場では法規に規制されないヤミ競馬が数多く開催された。
 八王子競馬場でも日本初の連勝単式馬券が発売され、売り上げが飛躍的に伸びる一方で、他の競馬場での例に漏れず、法規制が未整備のため、騎手や馬主による不正が横行し、飽和21年(1946年)に「地方競馬法」が施行された。
 また昭和23年(1948年)には「競馬法」が制定あれ、一部のレースを除いて主催者が都道府県に移管され、八王子競馬場でも馬場施設などの資産が東京都に継承された。
 八王子競馬場での競馬開催は、昭和23、24年(1948年と1949年)に都営競馬及び八王子市営競馬が延べ8回行われたが、翌昭和25年(1950年)の大井競馬場が開場により、競走は行われなくなった、
 八王子競馬場は昭和27年(1952年)に牧場となり、競走馬の育成・調教の場となり、昭和29年(1954年)には関東地方競馬組合の騎手講習所が、昭和37年(1962年)には騎手学校が開設されたが、昭和39年(1964年)に栃木県塩原町(現・那須塩原市)へ移転し、翌昭和40年(1965年)に八王子牧場も廃止され、競走馬の育成機能については千葉県の小林牧場に移転された。



3.新聞記事
 以降に、新聞記事を示しますが、日野新田に決まったのも(当然ながら)紆余曲折があったこと、決まってからは、8月の地鎮祭、11月の竣工式、そして第一回開催と急ピッチで進んだことが窺い知れます。


八王子競馬場(第二代)に関する東京日日新聞府下版の記事一覧
記事掲載日 見出し 記事
昭和9年4月6日 八王子競馬場の移転
小宮村に内定
本決まり迄なお曲折
昭和9年4月28日 八王子競馬場行悩む
敷地交渉など幹部に非難
昭和9年5月2日 クラブの抗議に
地主は空嘯く
八王子競馬場混戦
昭和9年5月19日 甲ノ原断念か
新に豊田高幡付近を物色く
縺(もつ)れる八王子競馬
昭和9年5月30日 もんだ揚句が
日野に落着か
八市競馬場の敷地
昭和9年6月20日 日野新田の移転
また流産か
反対派は参加せず
八王子競馬総会お流れ
昭和9年6月22日 もみ抜いた移転先
日野新田に決まる
猛烈な奪還運動を尻目に
愈々(いよいよ)秋までに完成
問題の八王子競馬
昭和9年7月27日 横暴な払込命令に
小口出資者憤る
廿円新株に乗り替えねば「旧株は失効」同様
八王子競馬場また一もめ
昭和9年8月16日 八王子競馬
きのう地鎮祭
秋の競馬までに完成
昭和9年8月31日 競馬場への省営バス断念
昭和9年9月2日 八王子競馬へ明春日取
昭和9年9月7日 一と月遅れで
ともかく開場
八市秋競馬漸(ようや)く決定
昭和9年9月30日 ファン争奪
自動車業者路線延長競願戦
八王子競馬目指し
昭和9年10月30日 竣工迫る
八王子競馬場
昭和9年11月2日 八王子競馬場
竣工式
きのう盛大に挙行
昭和9年11月6日 一喜一憂に踊
 血眼のファン
八王子の競馬第一日
昭和9年11月8日 八市競馬 事故一束
第二日めの
昭和9年11月9日 八王子競馬(第三日目)
昭和9年11月10日 八王子競馬(最終日)
昭和10年6月17日 八王子競馬
警備打ち合わせ
駅では臨時発売所設置
昭和10年6月19日 ”一円”の興奮 
熱夏に黄金の雨を降らす 
あす 八王子競馬蓋明け
昭和10年6月22日 穴続出に沸く
馬券売上げは五十萬円突破か
雨を蹴って競馬賑わう
昭和10年6月23日 反則続出し
第一競馬失効
八王子競馬第三日
昭和10年6月24日 騎手落馬
四週間の重傷
昭和10年6月25日 弊害の草競馬
来年度伊から主催は府連合会か
多摩八王子競馬は何処へ
 |  騎手の落馬へ
”疑惑の目”は集まる
八署の追及は厳重
昭和10年6月28日 長澤八署長
競馬へ警告
場内設備が不完全だ
昭和10年7月28日 検事局の態度は
嵐の前の静けさか
競馬関係者は戦々恐々
昭和10年8月02日 炎天に砂塵舞い
走る!馬!金!
八王子競馬第一日
昭和10年8月03日 白粉の顔赤黒し
女馬狂の興奮
悲壮!ゴールドラッシュ
昭和10年8月04日 馬券を鷲掴み
脱兎の如く逃げる
それを野次馬が追跡
 |  八王子競馬第三日
昭和10年8月10日 武陽銀行の悲鳴
”競馬の会計もう真平”
秋季競馬終り、またもや
使途不明問題あり
昭和11年3月15日 迫る八王子競馬
昭和11年3月19日 競馬スタムプ
 |  八王子競馬順延
昭和11年3月20日 馬体検査
昭和11年3月22日 雨・競馬場風景
昭和11年3月24日 馬”悲喜”を乗せて
スタンド顔で埋まる
開幕・ドールドラッシュ
 |  八王子競馬(第一日)順延
昭和11年3月25日 芸術的でない顔
大穴の魅惑に歪んで
 |  八王子競馬(第二日)
昭和11年3月26日 珍レース・観衆沸く
 |  八王子競馬(第三日)
昭和11年3月27日 むさしの
 |  八王子競馬(最終日)
昭和11年7月17日 陽光の下・興奮の炸裂
八王子開く競馬
大枠の魅惑にファン殺到
売上げも水銀柱と背伸び
昭和11年7月18日 馬も人も脂汗
劈頭から大穴
八王子競馬二日
昭和11年7月19日 八王子競馬・遂に興奮沸騰
 |  奇怪・倶楽部の経理
検察局・裏面へ目
意外の事実暴露か
昭和12年2月10日 今年の関東各競馬
きのう畜連協議会で決る
東京府八王子競馬
昭和12年6月22日 馬券の売上げ
八十萬円目標
期待を乗せて八王子競馬近づく
昭和12年6月27日 競馬記念スタムプ
昭和12年7月01日 多摩競馬繰延べ
降雨のため二日延期
昭和12年7月02日 きょうから八王子競
昭和12年07月03日 きょうから開催
又一日繰延べの八王子競馬
昭和12年7月04日 八王子競馬
人気まさに沸騰
大穴にファン渦巻く
馬券売上げ十四萬五千余円
昭和12年7月06日 実現した競馬狂時代
八王子競馬三日目成績
昭和12年7月07日 総売上げ六十萬円
成功裏に閉幕の八王子競馬
昭和12年07月08日 武蔵野
競馬場の犯罪
昭和12年7月20日 八王子の秋競馬
八月十四日から四日間
昭和12年08月12日 八王子競馬に記念スタムプ
昭和12年8月15日 汗と馬券協奏曲
きのうから八王子競馬
昭和12年8月17日 大穴続出の興奮
八王子競馬第三日
昭和12年8月18日 酷暑も吹き飛ばして
競馬狂時代の笑顔
売上げ五十一萬円の八王子競馬
昭和13年4月28日 廿萬円で譲渡
八王子競馬の転身
昭和13年7月2日 ”速度”から”力”へ
変る競争馬資格
秋競馬から実施と決る
昭和13年7月3日 ”多摩競馬”が身売り
十八萬五千円で畜産連合会へ
>昭和13年7月7日 待望の八王子競馬
きょうから賑々しく開催
昭和13年7月10日 大穴の魅力に酔う
八王子競馬きのう開幕
昭和13年7月12日 八王子競馬 第三日成績
昭和13年7月13日 総売上げ六十四萬円
八王子競馬の総勘定
昭和13年8月26日 八王子競馬場
存続の運動
早くも関係者が動く
昭和13年8月27日 八王子秋競馬
九月上旬四日間
昭和13年9月10日 軍用候補馬速歩
「複」の二着が大穴の番狂わせ
 |  八王子競馬(一日)
昭和13年9月11日 八王子競馬(二日)
昭和13年9月13日 八王子競馬(最終)


4.遺産
 平成27(2015)年1月の時点で、競馬場の面影を偲ばせるものは残ってはいません。
 ただ、往時に使用されたと謂われる倉庫が残っています。現「Ken Depo」店舗がそれです。
私が日野に来た1980年代前半には、当時からと思われる「松」もまだあリ、「Ken Depo」店舗になった際に切られたように記憶します。


 敷地的には、首都大学東京や高倉小学校、八王子東高校、高倉南公園が、競馬場の敷地内であり、北西端にあたります。 
 
 さらに、高圧電線「東京西線」は競馬場を避けて東に蛇行したとされ、その近くから南東方向に「競馬場支」とある電柱も残っています。


 電柱は建て替えられる過程において統廃合されていくようで、「競馬場支」も1〜18の中で、いくつか見つけ出せていないものがあります。
いつかは「競馬場支」も、なくなってしまうのでしょう。


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