■標記の変遷
乙式一型偵察機だけではありませんが、大正から昭和の陸軍機の標記は次のように変遷しています。言い換えれば、標記が分れば、その写真のおおよその撮影時期も類推できます。
パターン | 時期(前後) | 胴体 | 主翼 | 方向舵 左面 | 方向舵 右面 | 例 |
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@ | 大正7年6月?※〜大正11年2月 ※航空ファン誌2015年9月号記事は誤り |
日章 | 日章(上翼上面、下翼下面) 機体番号(下翼下面) |
サ式2A2型 機体番号 自重 搭載量 |
サ式2A2型 機体番号 製造年月 製造所 |
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A | 大正11年3月〜大正12年10月 | 乙式一型偵察機 機体番号 自重 搭載量 |
乙式一型偵察機 機体番号 製造年月 製造所 |
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B | 大正12年11月〜昭和2年10月 |
乙式一型偵察機 機体番号 製造年月 |
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BとCの端境期 | 昭和2年秋以降1年程度か | 日章 機体番号 |
日章 機体番号(上翼上面、下翼下面) |
乙式一型偵察機 機体番号 自重 搭載量 |
乙式一型偵察機 機体番号 製造年月 |
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C | 昭和2年11月〜昭和12年2月 | 日章 機体番号 |
日章 機体番号(上翼上面、下翼下面) |
乙式一型偵察機 | 乙式一型偵察機 |
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D | 昭和12年3月〜 | (未記入) | 日章 | (未記入) | (未記入) | 筆者はこの標記の写真を見たことがない。時期的に、もう乙式一型偵察機は飛んでいなかっただろう。 |
■方向舵機体番号のステンシル文字
上記表のうち、方向舵に機体番号を標記している時期の写真を見ると、左写真のようにステンシル文字(くり抜いた型を用いた文字)になっているものがあります。当初、500〜600番台にそれが多く見られることから、その機体番号を生産していた東京砲兵工廠製の機体が一時期に用いていたものと推測していました。
それは、同じ500〜600番台でも、ステンシル文字ではない機体(左の504号機 など)が見られたためで、ある時期以降に(定期手入れ等において)塗り替えられたのだろうと考えていました。下の写真は奥の2機(613号機、623号機)はステンシル文字ですが、手前の591号機は非ステンシル文字であり、3機は方向舵と胴体に機体番号を標記していることから、昭和2年秋の胴体標記通牒と前後して塗り替えられていたかとも。ただし、下の写真は昭和5年7月の撮影で、その時点でもステンシル文字は残っていたことが分かります。
一方、その後に次の写真を入手したことで、東京砲兵工廠製の機体だけではないことが判明しました。手前の1048号機は川崎造船飛行機工場製の機体であり、その生産初号機(1001号機)以降にステンシル文字の方向舵機体番号は見たことがなかったのですが、この写真により川崎製機もステンシル文字になっていたことが分かりました。
とすれば、ステンシルは製造工場によるものではなく、定期手入れなど際にステンシル文字にしていたのかと推測されます。ステンシル文字を持つ機体は飛行第六連隊(朝鮮・平壌)の機体がほとんどであることから、飛行第六連隊の材料廠(部隊内の整備部門)でそれが行われた可能性が高いと推測します。