九一式戦闘機 300〜399号           
No 写真 製造年月 記事 出典
301      昭和10年8月19日、周水子飛行場において、斉藤曹長操縦にて離陸直後(高度40m)、発動機が停止、高度15mで失速、墜落。
 昭和10年10月4日、関東軍兵器部長名で廃兵器検定され、再用部品採取の上、軍にて処分と決定。
昭和10年11月 陸満普1073号、昭和11年9月 陸満密353号
302    昭和13年7月4日、関東軍兵器部長名で廃兵器検定され、再用部品採取の上、金属類は兵器材料として再生処分し、その他は売却と決定。 昭和13年10月 陸満普304号
304      昭和11年7月1〜4日の飛行第五連隊の第三中隊による東日本連絡飛行参加機(川井上等兵(復航は泊大尉)機)。
 昭和11年8月に予定されていた飛行第五連隊の第三中隊による日満航法演習参加予定機(川井上等兵機)。
東京日日新聞(東京府下版)昭和11年7月1〜4日
307    昭和12年5月15日の秋田県東雲飛行場の献納式典の参加所沢飛行学校機。 絵葉書。同式典に、283号も見える。
309    後期型。
 浜松飛行学校?
写真
310      後期型。
昭和10年8月24日午前11時20分頃、飛行第五連隊第三中隊付斎藤軍曹操縦の九一式戦闘機は飛行訓練中、進路を誤り所沢東北方東條ゴルフリンクに不時着、機体は小破したが軍曹は無事。
東京日日新聞(東京府下版)昭和11年7月1〜4日
311    後期型。 写真
312      後期型。  
315  後期型。胴体後方に編隊灯装備機  恐らく、明野飛行学校yにおける編隊飛行時の写真。
319    後期型。胴体後方に編隊灯装備機 明野飛行学校の絵葉書
323  昭和11年1月13日、関東軍兵器部長名で廃兵器検定。 昭和11年2月 陸満普89号
325  飛行第十一連隊機。飛行集団冬季演習参加し、昭和11年2月15日午前7時5分、中隊長僚機として遼源飛行場攻撃のために新京飛行場を出発したが、降雪により防塵網に着雪し、発動機不調となって不時着。プロペラを大破。
 昭和11年12月26日、関東軍兵器部長名で廃兵器検定。
昭和12年1月 陸満普48号
326      昭和10年7月29日、関東軍兵器部長名で廃兵器検定され、地上教育用に充当と決定。 昭和10年8月 陸満普806号
328 昭和八年八月
中島 
 飛行第十一連隊機。
昭和11年2月20日午前8時10分頃より格納庫前において発動機余熱をはじめ、その終了後の8時50分から発動機試運転の際、プロペラ数回転後に「ポン」という異音とともに逆転し気化器に引火、消火拳銃にて消化。
第一、第二円框体間「ジュラルミン」板焼損、中央翼羽布焼損。総使用時間130時間43分。
 尚、飛行第十一連隊長名の兵器毀損理由書には「九一式戦闘機機体一型」とあるが、写真には金属プロペラがついている。回転方向が木製プロペラと同じに見えるため、1型の金属製プロペラ装着機か。
昭和11年9月 陸満密第2004号
330 昭和八年八月
中島
 愛国90「第二千葉」号の継承機。
 昭和11年1月29日、耐寒訓練終了後、原隊に復帰するため午前8時30分に八面飛行場を離陸、牡丹江飛行場を経由した午前9時35分、「スルスルと」発動機が停止、再始動できずに不時着し、転覆。原因は、「タンク」空気抜孔の凍結閉塞。
 昭和11年4月24日、関東軍兵器部長名で廃兵器検定され、再用部品採取の上、軍にて処分と決定。総使用時間、252時間。
昭和11年4月 陸満普484号、昭和11年9月 陸満密353号
332 昭和八年八月
中島
 一型、十一連隊機
昭和12年4月12日、関東軍野戦航空廠長名で廃兵器検定され、再用部品採取の上、売却と決定。使用総時間 285時間
昭和12年5月 陸満普458号
333    昭和11年1月13日、関東軍兵器部長名で廃兵器検定され、再用部品採取の上、軍にて処分と決定。 昭和11年2月 陸満普89
334    昭和11年7月1〜4日の飛行第五連隊の第四中隊による西日本連絡飛行参加機(竹村大尉(佐藤大尉)機)。
 昭和11年8月に予定されていた飛行第五連隊の第四中隊による日満航法演習参加予定機(予備機)。
東京日日新聞(東京府下版)昭和11年7月1〜4日、立川陸軍航空支廠の絵葉書
335    後期型
 飛行第一連隊機。
写真
336    後期型 『われ等の空軍』
347    後期型
愛国113「産業協働第二」号(昭和9年4月22日、大阪)
昭和10年7月29日、関東軍兵器部長名で廃兵器検定され、地上教育用に充当と決定。
写真 など、昭和10年8月 陸満普806号
354      後期型?
飛行第五連隊の戦偵連合演習の第二日の記事に、写真掲載。
東京日日新聞(東京府下版)昭和11年10月29日
352    昭和12年10月14日、関東軍兵器部長名で廃兵器検定され、再用部品採取の上、売却と決定。 昭和12年12月 陸満普957号
360    二型。左翼にピトー管。 『日本航空機総集 中島篇』
361    十一連隊機
昭和12年6月24日、関東軍野戦航空廠長名で廃兵器検定され、再用部品採取の上、軍にて処分と決定。
昭和12年7月 陸満普683
362    飛行第五連隊機。連隊空中勤務者の第二期教育検閲の記事に写真掲載。
 飛行第十一連隊機。昭和12年6月24日、関東軍野戦航空廠長名で廃兵器検定され、昭和12年7月30日付けで再用部品採取の上売却と決定。
東京日日新聞(東京府下版)昭和11年9月20日
陸満普第683号(昭和12年7月30日)
364    昭和13年9月1日、関東軍兵器部長名で廃兵器検定され、再用部品採取の上、金属は鋳物材料とし他は売却と決定。 昭和13年9月 陸満普272号
369    二型。
 昭和10年9月、名古屋工廠から中華民国広西省に貸渡された完備8機のうちの1機。
昭和14年9月、支那事変のため回収不能となって、返還免除さる。
昭和14年9月 陸密第1472号
370    二型。
 昭和10年9月、名古屋工廠から中華民国広西省に貸渡された完備8機のうちの1機。
昭和14年9月、支那事変のため回収不能となって、返還免除さる。
昭和14年9月 陸密第1472号
371 昭和八年十一月
中島
 一型
昭和12年1月10日、関東軍野戦航空廠長で廃兵器検定され、再用部品採取の上、売却と決定。使用総時間 314時間
昭和12年4月 陸満普411号
372    二型。
 昭和10年9月、名古屋工廠から中華民国広西省に貸渡された完備8機のうちの1機。
昭和14年9月、支那事変のため回収不能となって、返還免除さる。
昭和14年9月 陸密第1472号
373    二型。
 昭和10年9月、名古屋工廠から中華民国広西省に貸渡された完備8機のうちの1機。
昭和14年9月、支那事変のため回収不能となって、返還免除さる。
昭和14年9月 陸密第1472号
374    二型。
 昭和10年9月、名古屋工廠から中華民国広西省に貸渡された完備8機のうちの1機。
昭和14年9月、支那事変のため回収不能となって、返還免除さる。
昭和14年9月 陸密第1472号
375    二型。
 昭和10年9月、名古屋工廠から中華民国広西省に貸渡された完備8機のうちの1機。
昭和14年9月、支那事変のため回収不能となって、返還免除さる。
昭和14年9月 陸密第1472号
376    二型。
 昭和10年9月、名古屋工廠から中華民国広西省に貸渡された完備8機のうちの1機。
昭和14年9月、支那事変のため回収不能となって、返還免除さる。
昭和14年9月 陸密第1472号
384    二型。飛行第一連隊機。 写真
385    二型。飛行第一連隊機。 写真
388    二型。昭和9年11月の中島飛行機・太田工場行幸時の天覧機。 昭和9年11月16日
中島飛行機太田工場行幸
記念写真帖
391    一型。 立川・飛行第五連隊格納庫前での写真
395    二型。 写真
397    後期型、または二型。 『われ等の空軍』