九一式戦闘機(補足メモ)
 陸軍資料などから、以下の交付や貸渡の記事が拾えます。
 
昭和9年3月2日   カタパルトによる射出研究用として、3機を航空本部技術部へ下付。
昭和9年3月8日   小倉工廠東京兵器製造所に、参考品として九一戦機体、ジュ式6型420馬力発動機、同プロペラ(各1)を無償交付。
昭和9年6月6日   123号機を、所沢飛校に教育用参考品として下付。
  
昭和10年5月13日  所沢飛校に教育用参考品として、2型を1機、九四式450馬力発動機とともに下付け。
昭和10年9月    名古屋工廠から中華民国広西省に、2型の8機(230,369,370,372〜376)が貸渡される。(昭和14年9月、支那事変のため回収不能となって、返還免除さる)
  
昭和13年1月    帝国飛行協会に、陳列用として廃品プロペラ(金属製双翅式一組、木製被包式乙一本)を無償転換。
昭和13年2月    陸軍士官学校、陸軍予科士官学校へ、発動機、プロペラともに1機ずつ支給。
昭和13年7月26日  航空要員教育のため、完備の6機を関東軍に交付。
  
昭和15年5月31日  大阪国防館陳列のため、1機を下付け。
昭和15年6月13日  映画「燃ゆる大空」撮影のため、東宝映画に1機(翼なし)を貸渡。
現在見られる「燃ゆる大空」では貸渡された機体を用いたシーンはないが、冒頭の背景シーン(熊谷飛行学校のマーク付き)や、2型×5機による編隊飛行シーンがある。
昭和15年7月12日  逓信省中央航空機乗員養成所(後の、松戸高等航空機乗員養成所)に、完備の3機を貸渡し。(昭和16年3月31日まで)
うち、1機は284号と判明しており、昭和15年12月時点で使用不能となり、地上教材として保管転換。
昭和15年7月18日  満洲航空乗員軍事訓練用に、完備の2機を貸渡し。同時に九四偵2機。(昭和15年9月30日まで、満洲支廠にあるものを充当、同時に九四式偵2機も)
昭和15年7月19日  奉天満洲国軍第二飛行隊に完備の10機を貸渡。一緒に「ジュ」式発動機が貸渡されていることから、一型か。
昭和16年6月30日まで(満洲支廠にあるものを充当、なかったら半分は九五戦でもよいとの注記あり)
昭和15年7月20日  完備の2機を帝国飛行協会(日本航空学生連盟向け)に貸渡。昭和16年3月31日まで、他に八八式偵察機(完備)を5機。
昭和15年9月25日  山梨航空研究会附属山梨航空技術学校に、翌年9月30日まで、完備の1機を無償転換保管。
  
昭和16年6月26日  満洲国軍飛行隊への10機、昭和17年6月30日まで貸渡期間を延期。