飛行場景色 西地区(陸軍航空本部技術部)

東地区     

西地区        

初版 2014.06.29

立川飛行場(飛行場景色 陸軍航空本部技術部/陸軍航空技術研究所)
 
陸軍航空本部技術部(東地区から)
 大正14(1925)年5月に陸軍の航空部門は航空兵科として独立し、それまでの陸軍航空部が昇格した官衙(平たく言えば役所)が陸軍航空本部である。 同本部は総務部、技術部(陸軍飛所沢行学校にあった研究部が技術部に改編)、補給部、検査部からなり、その任務は従来の陸軍航空部とほぼ同じだが、航空に関する「試験」が加わり、航空に関する「器材の製造」がなくなった。
 昭和3年11月、陸軍航空本部技術部は所沢から立川に移転し、飛行場の西地区の北側にその敷地が設けられた。最初に建てられた格納庫一棟が見えている。
 手前の飛行第五連隊の第五格納庫が見えないことから、本写真は昭和4年秋までの撮影だが、右上の一角が技術部である。昭和5年に発表された「立川小唄」の3番で唄われている「飛行五連隊ありゃ格納庫 ほんに技術部さしむかい」の通りである。
  陸軍航空本部技術部(西地区から)
 左下の一角が技術部で、向こう側は飛行第五連隊施設。
 この写真では格納庫が2棟見えることから、左写真より撮影時期が後ということが分かる。左写真では飛行第五連隊の第五格納庫が見えており、昭和4年秋以降の撮影。
 
技術部格納庫(その1)
 2つめの格納庫は昭和5年7月に竣工しており、新聞地方版でその竣工記事が確認できる。写真は、その東京日日新聞府下版(昭和3年7月9日付)より。
 本格納庫は、九二式重爆撃機を格納できるするために見直されている。
  技術部格納庫(その2)
 昭和8年5月の行幸時の写真。左写真の第二格納庫は、奥目に見えている。
   
航空技術研究所
 昭和10年8月、陸軍航空本部技術部は、陸軍航空技術研究所とに改称された。
 写真は『航空殉職録 陸軍編』(昭和11年5月、航空殉職録刊行会)からの、正門。