飛行場景色 東地区(飛行第五大隊時代)

東地区   

西地区         

初版 2014.06.22

立川飛行場(飛行場景色 飛行第五大隊)
 
開隊記念絵絵葉書(その1)
 大正12年2月17日に催された開隊記念祝賀会にて配布された、記念絵葉書。2枚組で、カラー印刷にエンボス(型押しによる立体加工)という豪華版で、その中の1枚が本絵葉書。
 ゴーグルの向かって左目に正門が、右目には飛行場南端からの撮影と推測される第一格納庫と大隊本部が見えている。
 三田鶴吉氏の『立川飛行場物語(上)』には、木造と思われる門が掲載されているが、開隊記念で配った本絵葉書にも立派な西洋風の門があることから、立川飛行場物語の掲載写真は、極初期のものであろう。
  開隊記念絵絵葉書(その2)
 開隊記念祝賀会配布絵葉書の、2枚め。
 こちらは上空からの大隊施設の航空写真と飛行場になる前の地図が掲載されており、「原市場」という字名が見える。敷地選定時の「東京府北多摩郡立川村字原市場西北部」である。
 
正門
 近代的な正門の風景。門の奥に見える桜の木がまだ植えられたばかりであるのが分かる。
 類似の通用門門柱の灯篭は、陸上自衛隊立川駐屯地の資料館に保管されている。



  大隊本部
 なかなか格好いい建物に見える。
 本建物は、戦後の米軍駐留時代もそのまま使用されたが、再開発により取り壊された。

 
将校集会所
 連隊本部より更に洒落た建物が、この将校集会所である。金を掛けた感が、筆者には強く感じられる。
 本絵葉書では見られないが、本建物の2階正面に、飛行第五大隊の部隊紋章を入れたステンドグラスが掲げられていた。米軍駐留時代を経て、現在は陸上自衛隊立川駐屯地の資料館に保管されている。
  兵舎
 連隊本部や将校集会所に比べて無骨感は漂うものの、こちらも洒落た建物である。
 ただし、本兵舎は大正12年9月の関東大震災により建物の南東隅に大きな亀裂が入り、のちに建て替えられている。被害写真は土木学会附属土木図書館のデジタルアーカイブス 関東大地震震害調査報告掲載写真」(第三巻 第二編 建物 写真No.491〜494)に掲載されており、見ることができる。
 関東大震災時のその他の建物被害としては、他に酒保(隊内売店)があり、立て替えられたことが陸軍書類から分かっている。酒保の絵葉書も筆者は所有しているが、立て替え前か後かは不明で、ここで掲載すべきか判断つきかねているため、掲載しないことにした。
 
格納庫(その1)
 当時の格納庫は切妻型形状であり、多くの機体を収容する場合には、それらを長辺で連結させていた。この形状は、立川飛行場より先輩格である八日市(は滋賀県)や太刀洗(福岡県)で見られる。
 ただし、この連結型では短辺の間口から、同時に出し入れできる機体数に限りがある。そこで、短辺側で連結し、長辺部を出入口として大きくしたのが、立川型ともいうべき本格納庫である。
 本型の格納庫は立川以外では各務ヶ原(飛行第二大隊)に見られるが、1つだけである。格納庫としては高価につくからだろう。これを5つ(整備隊用に1つ)も有する立川は、その期待の大きさが格納庫からも窺える。
 この絵葉書では、奥側の第三、第四格納庫は、まだ建設途中である。
  格納庫(その2)
 四棟と完成した後の格納庫群とその奥に見える大隊本部。
 本型の格納庫は立川以外では各務ヶ原(飛行第二大隊)に見られるが、1棟だけである。大きな出し入れ口など、格納庫としては高価につくからだろう。 これが、立川には整備隊用に1つ(一回り小型)を加えたも5個を擁しており、期待の大きさが格納庫からも窺える。
 また、格納庫には奥から「I、II、III」というようにローマ数字的な番号が描かれているのが、本絵葉書で見ることができる。ローマ数字的としたのは、第四格納庫が「IV」ではなく、「IIII」になっていることから。