最終更新日 2017.06.25

 2022年、立川飛行場は百周年を迎えます。
このページは、百周年までに立川飛行場の戦前史をまとめるべく活動してきた筆者の成果を掲載するものです。

立川飛行場とは
 大正10(1921)年2月、帝都・東京の近くに航空第五大隊を置くべく、その敷地選定が開始されました。
6月に選定された地が「東京府北多摩郡立川村字原市場西北部」、今の立川飛行場であり、翌大正11年夏には飛行場は完成しています。
 立川より古い飛行場は、日本陸軍だけでも埼玉県所沢、千葉県下志津、滋賀県八日市、福岡県太刀洗など少なくありませんが、太平洋戦争・戦後の米軍進駐を経て、多くが消えていきました。
その中で立川飛行場は生き残り、現存する飛行場の中では岐阜県各務ヶ原(大正6年)、三重県明野(大正8年)に継ぐ、古参の飛行場です。


 立川飛行場における、20機以上の乙式一型偵察機の列線。背景には左から、格納庫3棟、連隊本部、将校集会所が見えています。
 日本陸軍機は昭和2年10月までは方向舵に機体番号を標記しており、列線の機体も同様であることから、本写真は昭和2年秋までの撮影と考えられます。


 上は、立川の主だった飛行第五連隊を表す標識で、航空兵科の「空」色と数字の5で、飛行第五連隊を意味します。(因みに、赤は歩兵)
形は制服の詰襟の前合わせの形になっており、除隊記念アルバム等の表紙を彩っていることが多いです。

 

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