昭和10年   
         

東京日日新聞(府下版) 昭和10年  
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飛行第五大隊/連隊/戦隊 第四航空教育隊    
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昭和10年01月09日(1)兵隊さんの町飛行第五連隊;天然痘発生により、創設以来の兵隊さんのいない正月;8日、予防期間終了により、外出
昭和10年01月09日(2)飛五の初演習飛行第五連隊;中少尉の現地戦術演習、神奈川県伊勢原〜三島付近で挙行;統裁官は下田少佐、参加方向は久保木中尉以下16名
昭和10年01月12日夜の多摩川に 飛五機の不時着発動機の故障で飛行第五連隊;第一中隊山内一三軍曹操縦の八八式偵察機(117号機)、昭和村福島上空で夜間飛行中、発動機故障、多摩川に不時着;機体は水浸しも、軍曹は無事
昭和10年01月13日十年の大空 初の長途飛行は 沖縄まで立川飛行第五連隊の飛行第五連隊;八八式偵察機3機で、長途飛行;立川→太刀洗、太刀洗→鹿屋経由→沖縄・大村;132号機、645号機、669号機
昭和10年01月16日飛五二月行事飛行第五連隊;2月行事予定
昭和10年01月20日非常時に 武者振う 天晴れ若者入営はいよいよ今日飛行第五連隊;入営の初年兵、19日中に所定の宿舎に
昭和10年01月22日”天晴れ飛五兵”で 入営最初の兵食洋服や紋服は見送りに渡して 箸をとる心境は?飛行第五連隊:今年度入営初年兵、20日に入営;昼食に、赤飯にお頭つきのご馳走
昭和10年01月25日全部立川へ石川島飛行機製作所石川島飛行機製作所;東京の本社事務所を立川に移転に;伴って係長の移動;(立川工場長)参事の伊藤 赳、東京出張所勤務に;工作係長技師の吉原四郎、工務係長に;工務係長技師の下条幹義、検査係長に;検査係長技師の橋田武司、工作係長に
昭和10年01月26日(1)凍る大空を飛翔飛五の耐寒飛行飛行第五連隊;八八式偵察機3機;立川−熱海−亀山−広−防府−太刀洗(一泊)−鹿屋−大村−太刀洗(一泊)−熱海−立川の全距離2,500kmに、25日出発;(作業者注 胴体に機体番号がないように見える)
昭和10年01月26日(2)浜松に不時着飛行第五連隊;25日朝に出発の八八式偵察機3機中、2機は午後2時40分、太刀洗に着;田中中機故障から浜松に不時着;その太刀洗に向かい、午後5時50分、太刀洗に安着
昭和10年01月27日飛五の三機の 妙技を台覧東久邇宮彰常王殿下飛行第五連隊;東久邇宮彰常王殿下、石川島飛行機製作所を見学の後、飛行第五連隊を見学;第三中隊の佐藤・荒蒔両中尉、梅川曹長の操縦する九一式戦闘機の連続アクロバシーを台覧
昭和10年01月29日(1)新春の話題 飛行家志願の家出 沈黙の麗人さては親父へ手切れ金3人の話題
昭和10年01月29日(2)街のたより飛行第五連隊;耐寒飛行は27日、3機揃って立川に着
昭和10年02月05日浜松飛行連隊の計器飛行操縦席に幌をかけ視界を遮断飛行第七連隊;九三式重爆撃機4機、九三式単軽爆撃機1機、弘中中佐指揮で飛来;午後に九三式双軽爆機も飛来
昭和10年02月10日街のたより飛行第七連隊:20日午前中に立川を出発、帰還
昭和10年02月12日飛五の式典飛行第五連隊;紀元節式典,延刻外出が許された
昭和10年02月13日大空への憧れ大和研究所つばめタクシー;10日に「飛行家志願の運転手を助手を求む」の案内広告、12日までに10余名の志願者
昭和10年02月14日街のたより下志津飛行学校;八八式乙式等7機の偵察演習、13日に立川で実施
昭和10年02月15日大工さんを 飛行機工へ養成立川補給部の試み陸軍航空本部補給部立川支部;大工さん50名募集
昭和10年02月19日我空軍を三嘆飛行第五連隊;英国大使館付武官チャッペル航空兵中佐、飛五を訪問;石橋少佐の案内で見学
昭和10年02月20日立川飛行場へ陸軍少年航空兵が所沢から飛来する所沢飛行学校にて勉強中の陸軍少年航空兵、アンリオ9機で立川に出張;飛行時間は25時間
昭和10年02月21日きょう飛来する所沢の少年航空兵所沢飛行学校から出張の陸軍少年航空兵;20日は強風のため中止、今日へ
昭和10年02月22日(1)大空の寵児 初の単独野外飛行大空の寵児 初の単独野外飛行所沢飛行学校から出張の陸軍少年航空兵、初の単独野外飛行;己式一型練習機(アンリオ)62○号機)
昭和10年02月22日(2)棟梁の夢を 飛行機工へ時代の波は若い大工にも陸軍航空本部補給部立川支部;求大工に400余通の応募
昭和10年02月24日僅か一か月で 立派な兵隊さん烈風中に飛五の検閲飛行第五連隊;初年兵第一期検閲
昭和10年02月25日爆撃演習へ飛行第五連隊;第二中隊、26日より第十四師団との連合基本爆撃演習ヘ;福澤大尉式の八八式偵察機,67号機、672号機、638号機、621号機、629号機
昭和10年02月26日街のたより陸軍航空本部補給部立川支部;求大工、24日に締切り、500名を突破
昭和10年02月27日満洲、上海両事変の 大空に輝く殊勲死線を越えしそのかみ きょうぞ酬いられて満洲、上海両事変の論功行賞;功三旭中授 補給部立川支部長 辻邦助大佐;功五旭四授 飛行第五連隊副官 篠原直夫少佐、飛行第五連隊連隊本部 栗原勝之助大尉;功五旭六授 飛行第五連隊第二中隊 桐畑嘉藤次中尉、第一中隊 久保木巌中尉;功五旭七授 飛行第五連隊第二中隊 足立誠一中尉、第二中隊 手塚小松特務曹長、材料廠 中野和雄尾軍曹;他
昭和10年02月28日(1)金鵄勲章は輝く@満洲の原野に 馬占山を空撃 まだ独身の足立中尉飛行第五連隊
昭和10年02月28日(2)雨で引返す爆撃演習へ飛五機の飛行第五連隊;第二中隊福澤大尉指揮の八八式偵察機、立川を離陸し太田原に向かったが、栗橋付近で雨のため引返し
昭和10年03月01日(1)金鵄勲章は輝くA延長1千キロに亘る 全満戦線の”耳” 誉れの無電手中野軍曹飛行第五連隊
昭和10年03月01日(2)飛行工めざし 若い大工さん 必死の構え立川補給部支部で試験開始陸軍航空本部補給部立川支部;1日100名で4日間を試験;採用は40名
昭和10年03月02日金鵄勲章は輝くB五指を屈する国宝鳥人の一人 藤田大尉の空撃振り陸軍航空本部技術部
昭和10年03月03日(1)金鵄勲章は輝くC部下を愛し 麗しき妻を愛し また敵をも愛す ”大空の雄”わが篠原少佐飛行第五連隊
昭和10年03月03日(2)下志津機下志津飛行学校;今西少佐式の八八式偵察機5機にその他1機、2日払暁に立川に飛来、静岡市の仮設飛行場を爆撃して帰還
昭和10年03月03日(3)飛行機工 採用願の大きな血書飛行機工 採用願の大きな血書陸軍航空本部補給部立川支部の「求大工」は意外な衝動;新潟県北魚沼郡千田村大字三仏生れれれの佐藤栄三(23)、西川駅前止宿、立川憲兵分遣隊と支部に血書を延世手、採用を願い出
昭和10年03月05日金鵄勲章は輝くD高射砲乱撃の中を 豪胆無比な飛行ぶり ”誉れの人”久保木中尉飛行第五連隊
昭和10年03月06日(1)金鵄勲章は輝くE女学生号に弾丸の雨 空陸連絡は満点 栄の『殊勲甲』辻大佐飛行第五連隊
昭和10年03月06日(2)四名に戦闘機操縦教育飛行第五連隊;偵察准士官下士の佐藤高雄、山内一三、渡辺三千雄、千葉吉太郎の4名に戦闘機操縦教育を
昭和10年03月10日飛行場見学立川飛行場見学;13日は民国太原綏軍航空隊長仲蹟翰少将以下3名;14日は民国陸軍大佐林偉成ほか4名;18日にはロシアの武官1名;事変後5年目の武官見学
昭和10年03月12日街のたより飛行第五連隊;営庭に全員整列し、勲章の第一回伝達式
昭和10年03月13日栄光輝く 勲章伝達指揮きのう飛五営庭で飛行第五連隊;金鵄勲章の篠原少佐以下5名、旭日および瑞宝章の石原少佐以下24名に、勲章の伝達式
昭和10年03月14日(1)実弾射撃演習明野で飛行五連隊が飛行第五連隊;指揮官下田少佐、使用機は八八式偵察機10機;第一中隊は132号機、606号機、143号機、645号機、669号機;第二中隊は6+22号機、617号機、638号機、621号機、629号機
昭和10年03月14日(2)飛七爆撃演習飛行第七連隊;爆撃演習、立川を基点に;九三式重爆撃機1001号機、1005号機、30号機
昭和10年03月14日(3)飛五を訪問中華民国の高級武官飛行第五連隊;中華民国航空武官、太原の航空隊長仲蹟翰少将以下3名、立川飛行場を訪問;石橋少佐の案内
昭和10年03月15日(1)嬉の上條さん大佐に進級し引続き立川補給部支部に勤務陸軍航空本部補給部立川支部;上條中佐、大佐へ進級;好評
昭和10年03月15日(2)飛五を見学飛行第五連隊;中華民国武官、林偉成
昭和10年03月17日(1)街のたより陸軍航空本部技術部;航空ニュースの発表、今回はホッカー単座戦闘機、大型飛行艇
昭和10年03月17日(2)早大航空実習生学生航空連盟加盟の早大航空研究実実習生14名、飛行第五連隊整備隊に入隊;今月17日から23日まで
昭和10年03月21日所沢から立川へ 職工さん続々補給支部で移転費補助陸軍航空本部補給部立川支部;所沢からの移転に独身者60円、有世帯者100円援護の移転費補助;東京に便利の良い、水がよい
昭和10年03月23日見習少年工を補給部で採用立川中心に各小学校から陸軍航空本部補給部立川支部;見習少年工を募集、近接小学校長推薦の160名から学科身体検査にて詮衡中のところ、合格者を発表
昭和10年03月28日飛五機明野着飛行第五連隊;明野射撃演習参加の4機、明野に着
昭和10年04月02日飛五機帰る飛行第五連隊;明野での実弾射撃訓練から、第二中隊の八八式偵察機4機、帰還
昭和10年04月03日(1)飛五訓練飛行飛行第五連隊;満州国皇帝陛下奉迎観兵式空中分列式の主体となる飛行第五連隊、訓練を開始;田中連隊長式の八八式偵察機12機、佐藤主計大尉指揮の九一式戦闘機9機
昭和10年04月03日(2)靖国神社へ 祀られる勇士飛五関係の人々飛行第五連隊;満洲、上海両事変戦死者6名、靖国神社例大祭にて合祀
昭和10年04月05日(1)飛五へ巡視飛行第五連隊;近衛師団参謀長岡田実大佐、飛行第五連隊を初度巡視
昭和10年04月05日(2)電波測定所北多摩郡東村山村久米川地先に建設中の逓信局電波測定所、竣工
昭和10年04月06日大変な引越し陸軍航空本部補給部立川支部;第二次移転;トラクター2台、トラック24台、11日間を要する引っ越し
昭和10年04月07日陸軍空の精鋭 きょう分列式予行演習堂々八編隊八十九機飛行第五連隊;友邦満州国皇帝陛下奉迎観兵式空中分列式;下志津、所沢の飛行学校機も参加して予行;徳川空の将軍指揮機を先頭に、九二式偵察機9機(所沢)、同9機(所沢、下志津)、八八式偵察機12機(所沢)、同12機(下志津)、同12機(飛行第五連隊)、九三式単双系爆撃機7機(所沢)、九一式戦闘機・九二式戦闘機15機(所沢)、九一式戦闘機12機(下志津、飛行第五連隊)
昭和10年04月10日多摩の山河に歴史的一頁 盟邦満州国皇帝 あす、御陵にご参拝意義深く銘記すべきこの日 府民の歓喜、天地に満つ飛行第五連隊;正門に満州国旗;満州国皇帝陛下奉迎観兵式空中分列式、田中連隊長は645号機に搭乗
昭和10年04月12日日満親善の空気 軍都に満つ事変勇士の灌漑深し飛行第五連隊満州国皇帝陛下奉迎、お召列車にホームから敬礼;田中連隊長の謹話にて
昭和10年04月13日営庭に櫻匂う飛行五連隊にて飛行第五連隊
昭和10年04月14日(1)航空視察に欧米へ陸軍航空本部の三将校陸軍航空本部技術部;伊藤部長他2名(緒方辰義中佐、今川一策少佐)、欧米視察へ;今月から5月上旬に出発、12月末まで
昭和10年04月14日(2)公民学校分教場 きのう開校式公民学校分教場 きのう開校式陸軍航空本部補給部立川支部;公民学校分教場を設けて、開校式;同部の少年職工に公民教育を施すもの
昭和10年04月17日出火原因取調陸軍航空本部補給部立川支部;職工休憩所から出火、原因取り調べ
昭和10年04月18日飛五の異動飛行第五連隊;異動
昭和10年04月19日飛行第五連隊;異動飛行第五連隊;第三十一期機関学生は、5月1日より1年間、所沢飛行学校へ
昭和10年04月20日飛五機帰る飛行第五連隊;明野での射撃演習中だった第二中隊福澤大尉以下5機、18夕に帰還;第三中隊佐藤大尉以下5機は、19日に帰還
昭和10年04月23日飛行機の触知盲学校から申し込み 飛五は快く許可飛行第五連隊;中野区城山東京同愛盲学校から見学申し込み;許可
昭和10年04月25日(1)鋭敏な指頭で 飛行機を触知鋭敏な指頭で 飛行機を触知飛行第五連隊;東京同愛盲学校ぼ生徒20余名;飛行場を、吉川大尉の案内で見学;小野寺教頭、大正8年頃にモ式81号に触れ、今日九一式戦闘機に触れ、素晴らしい進歩の跡を知りましたと、談
昭和10年04月25日(2)空中分列式飛行第五連隊;天長節観兵式空中分列式に70機、飛行第五連隊は八八式偵察機9機、九一式戦闘機6機が参加
昭和10年04月25日(3)飛五の記念日飛行第五連隊;5月1日に開隊記念日;立見文太郎少佐以下の殉難14霊の慰霊祭も
昭和10年04月26日消防組へ感謝状立川補給部支部から陸軍航空本部補給部立川支部;職工休憩所からの出火時の消化活動に、消防組へ感謝状
昭和10年04月27日空中分列式予行飛行第五連隊;天長節観兵式空中分列式の予行;下志津、所沢の両学校機に55機に、飛行第五連隊機15機;大江中将指揮にて、多摩川上空を経て代々木へ
昭和10年04月28日(1)素願叶って 壮丁の男泣き丈足らずとも航空兵石川島飛行機製作所の仕上工、青木泰助君;昨年現役志願で検査を受けたが、身長足りず不採用;昨日の徴兵検査でも不合格だったが、熱意から「身長発育の見込み願意熱烈」として、航空兵に合格
昭和10年04月28日(2)航空機製作所北多摩郡東村山村野口地先10万坪に建設予定の日本航空機製作所の創設者小林宗一氏、白瀬海軍予備大佐、鈴木陸軍帯大佐、村役場を訪問、設立趣旨を説明
昭和10年04月30日(1)空中分列式堂々代々木上空に飛行第五連隊;天長節観兵式空中分列式;下志津、所沢の両学校機に55機に、飛行第五連隊機15機;大江中将指揮にて、多摩川上空を経て代々木へ;10時20分立川に帰還
昭和10年04月30日(2)航空神社の慰霊祭あすは飛五創設記念日航空神社慰霊祭;飛行第五連隊の田中連隊長以下全将兵整列;同神社に祭られている飛行第五連隊関係者は、立見文三郎少佐、西田隆司曹長、福田汀大尉、小川貞亮大尉、菅原勘十郎特務曹長、稲岡寿敏大尉、小野間清蔵曹長、相田平八大尉、横山初次曹長、岩橋之夫軍曹、馬野勝軍曹、鶴義広大尉、谷口善七特務曹長、福田乙吉曹長、河合斌特務曹長の15名
昭和10年04月30日(3)飛行機の組立と 盆栽造りの名人”秘訣は誠心にある”立川町中町の斎藤宗三郎氏、中島飛行機製作所の組立工;組立工として稀な名手に加え、盆栽造りは天下一品
昭和10年05月01日ガソリンタンク爆発 職工は瀕死の火傷中島飛行機製作所で またも椿事の突発中島飛行機製作所;防音装置工場で、発動機試験中にガソリンタンク爆発;作業中の職工1名が瀕死の火傷;昨年9月頃にも同様椿事
昭和10年05月02日”空の英霊”を祀るきのう飛五開設記念飛行第五連隊;開設記念日;殉職15霊の祭壇、諏訪神社社司による修祓;式後、下士官集会所にて浪花節と琵琶の余興;一般人にも一部を開放
昭和10年05月03日飛行場に咲く花か小学生の飛五見学飛行第五連隊
昭和10年05月07日飛五兵の帽子飛行第五連隊;従来の軍帽を演習に、在営内では戦帽に切り替え
昭和10年05月09日先ず一ぷく飛行第四連隊;裏日本一周第一日;三木大尉指揮の八八式偵察機4機、太刀洗−小浜−八日市−浜松−立川;今日9日は、立川−仙台−立川;10日は、立川−上田−新潟
昭和10年05月11日立川町に一財源石川島飛行機製作所から営業収益税を徴収に決まる立川町と東京市、石川島飛行機製作所から営業収益税を徴収;収益する場所から、年約2,000円を立川0.818、東京市が0.182の割合で分割に;立川町には一財源
昭和10年05月12日(1)模擬爆弾投下飛行第五連隊;模擬爆弾投下演習;八八式偵察機が飛行場北端に投下;付近の民家や通行人に注意を呼びかけ
昭和10年05月12日(2)雄図空なし宙返飛行家志願の女中、細谷エミさん(仮名);潜伏中を発見され、連れ戻された
昭和10年05月14日所沢機不時着所沢飛行学校;乙式一型偵察機(1133号機);関口曹長操縦、池島少年航空兵同乗で、所沢−厚木間の野外航法演習中、西多摩郡秋留村小川地先、地上200mで発動機故障から不時着、五日市鉄道多摩川鉄橋に左翼を激突、大破;搭乗者は無事
昭和10年05月15日飛五爆撃演習飛行第五連隊;八八式偵察機、高度700mから投下;好成績
昭和10年05月16日飛五爆撃演習飛行第五連隊;八八式偵察機、高度700mから;第一中隊31発、第二中隊27発を投下;目標(径50m)への命中率は上々
昭和10年05月17日軍用地に 買い上げ度いと北郡地主五十名招集陸軍航空本部補給部立川支部;拡張;近衛師団経理部石井主計正;昭和村築地砂川二番組含む)を買い上げたいと、地主を昭和村役場に召集;軍からは最高800円/反、最低300円/反、平均400円/反を提示も、地主は1,000円/反を考えており、18日に改めて回答
昭和10年05月19日(1)学生飛行学生航空連盟の三等飛行士三角飛行;羽田−所沢−立川−羽田 のコースをアブロ機5機で;教官同乗して2回ずつ
昭和10年05月19日(2)招宴飛行第五連隊;連隊長田中夫妻による招宴、19日に府立農事試験場にて催す
昭和10年05月22日背広姿の上條さん 候補地を物色補給部立川支部の拡張 昭和村を見捨てて陸軍航空本部補給部立川支部;拡張;飛行場西北の10万坪の買収、価格の開きから一まづ断念;支部総務部長の上條大佐、日曜日にも係わらず洋服に変装し、候補地を物色;川向こう(日野方面)なら安く買える、主に倉庫なので、多少遠いところでも差し支えない
昭和10年05月23日爆撃機操縦飛行第五連隊:佐藤高雄曹長、吉岡勇軍曹、来月から2ヶ月間、浜松飛行学校へ爆撃機操縦修習に分遣
昭和10年05月25日(1)連合演習飛行第五連隊;歩兵第二旅団との連合演習;八八式偵察機、東西両軍に2機ずつ
昭和10年05月25日(2)飛五見学飛行第五連隊;米国大使館付武官スニード中佐等4名、過般、石川島飛行機製作所を見学;24日、飛行第五連隊を見学
昭和10年05月26日立川飛行場の 芝生の手入れ”機の尾で荒らされる”立川飛行場;芝生の手入れの季節
昭和10年05月29日亡き鳥人の告別式きのう飛五格納庫で執行 立川町あげて悼む飛行第五連隊;佐野武大尉、峰岸勝曹長の合同告別式、第一中隊格納庫で実施;渡辺丈太郎大将、小笠原航空本部長代理に、辻補給部支部ら、1,500名参列;(作業者注)陸軍叙勲書類では、佐野武大尉・峰岸勝曹長。昭和10年5月26日夜、立川飛行場において演習飛行中、機体故障から墜落、殉職;峰岸軍曹は昇進
昭和10年06月01日六月の暦立川付近飛行第五連隊;行事予定
昭和10年06月02日空中戦闘他流試合いよいよきょうから飛行第五連隊;平壌の飛行第六連隊からの九二式戦闘機6機;午前中、田中・福澤両中隊長式と八八式偵察機と;午後、原田中隊長統率の九一式戦闘機5機と;3日まで
昭和10年06月04日飛行機撮影厳禁飛行場南側の参観所、今回飛行機の撮影が禁止;酒保で葉書(戦闘機1、偵察機1、建物2の4枚1組)を一般者に販売;操縦徽章入りのタバコケースやタオルも
昭和10年06月06日秩父宮殿下 立川へ御成り最近の航空情勢を台覧秩父宮殿下、航空本部技術部に参謀本部員の資格で御成り;香積大佐の案内で最新兵器と飛行演習を台覧;午後は、石川島飛行機製作所へ
昭和10年06月07日(1)飛五辞令飛行第五連隊;曽我曹長、小林伍長が所沢飛行学校付へ;泉軍曹、竹村伍長が飛行第五連隊付へ
昭和10年06月07日(2)空中戦闘飛行第五連隊;第2回は、太刀洗からの飛行第四連隊第三中隊の九二式戦闘機と今日
昭和10年06月08日猛射乱撃 高度千五百メートル太刀洗機 立川機 ”第二次空戦”の幕飛行第五連隊;飛行第四連隊第三中隊の九二式戦闘機5機(江山大尉指揮)と;午前中は八八式偵察機と、午後は九一式戦闘機と;偵察隊側は下田第一大隊長以下、歌代・山田少尉、埜・川上曹長、加藤軍曹、宇野伍長
昭和10年06月09日飛五内務検査飛行第五連隊;連隊長内務検査、8日に;好成績
昭和10年06月12日むさしの飛行第五連隊;飛行第一連隊との空中戦闘は11日終了、同日帰還
昭和10年06月13日(1)軍部の買値まで 地主は譲歩か昭和村長が極力奔走陸軍航空本部補給部立川支部;拡張に伴う約10万坪の用地買収;新藤昭和村村長が地主の意向を聴取し譲歩を進める
昭和10年06月13日(2)勲章授与式飛行第五連隊;小島作五郎中尉等への勲章授与式、12日に
昭和10年06月18日烈風を衝き 攻防戦第四次空中戦闘飛行第五連隊;各務ヶ原の飛行第一連隊第二中隊の九一式戦闘機6機(岡本大尉指揮)と、17日に第一・第二中隊の八八式偵察機と空中戦;砂川村、日野町上空にて;18日、浜松へ出発
昭和10年06月19日立川機連合演習に参加飛行第五連隊;第一中隊の八八式偵察機1機(三好曹長操縦、森大尉偵察)、市川の野重三連隊との連合演習へ;第二中隊の八八式偵察機3機は、歩兵五十七連隊との連合演習のため、習志野および佐倉へ
昭和10年06月21日陸軍用地の買収 値開きが祟るか昨日熊川の地主協議陸軍航空本部補給部立川支部;拡張に伴う約10万坪の用地買収;青梅線拝島駅北西方の西多摩郡熊川村武蔵野の7万坪に白羽の矢;買収交渉に
昭和10年06月22日雨雲を衝いて 飛五機と交戦飛行第五連隊;太刀洗の飛行第四連隊の九二式戦闘機6機(高田中尉指揮)、20日午後に飛来;21日早朝から飛五偵察機と交戦開始も雨のため中止
昭和10年06月23日(1)空中戦闘太刀洗機と立川機飛行第五連隊;太刀洗の飛行第四連隊の九二式戦闘機3機、日野高幡付近に展開、代々木の帰還途中の立川機(偵察機1機)が日野上空で空中戦闘
昭和10年06月23日(2)立川飛行隊で実弾射撃演習飛行第五連隊;来月1日から明野陸軍射撃場にて実弾演習;第一大隊偵察機全機と高射機関銃隊;指揮官は下田少佐
昭和10年06月26日無電連絡飛行飛行第五連隊;第一大隊の立川−青森間無電連絡飛行、25日より挙行;第一中隊、大室少尉操縦・山田少尉偵察、韮澤軍曹操縦・石川少尉偵察の八八式偵察機2機;第二中隊、歌代少尉操縦・田辺軍曹偵察、山本軍曹操縦・福澤大尉偵察の八八式偵察機2機;第一中隊は直路、第二中隊は新潟を迂回するアルプス横断の山岳飛行
昭和10年06月27日飛五の鳥人が 合作の隊歌大空を護る誇り明朗飛行第五連隊;開隊以来隊歌がなかったが、隊内の文才鳥人が作詞し、山田耕作氏に作曲を依頼;このほど完成;一番歌詞、青空の彼方清く 仰ぐ芙蓉 立川飛行隊 任ありひたすらつとむ 皇都の鎮に
昭和10年07月03日(1)七月の暦立川付近飛行第五連隊;行事予定
昭和10年07月03日(2)所沢が挑む 中元の商戦立川銀座へ進出して所沢の某商店が、立川町の仲町通りで引き札を配布;補給部技術部関係者の昔の顧客を目指して割り込んできたもの
昭和10年07月03日(3)”補給部”の拡張用地 熊川村に決まる大地主も進んで提供陸軍航空本部補給部立川支部;拡張用地7万坪;西多摩郡熊川村字武蔵野に決定;38名の地主、軍部の山林200円、畑地300円で買収に応じる
昭和10年07月05日陸軍用地で 発展を期待『拝島駅』を中心に陸軍航空本部補給部:拡張用地、実測も終了;4日、地主を集めて境界線の了解を求めた
昭和10年07月06日(1)二中防音装置府立第二中学校;最初の設計にはなかった最新式の防音設備を行うこと
昭和10年07月06日(2)空襲参加の飛五機飛行第五連隊;三都防空演習に、第三中隊長原田潔大尉指揮で、九一式戦闘機3機が2度飛ぶことに決定
昭和10年07月07日(1)少尉候補試験飛行第五連隊;少尉候補者の試験;試験委員長は石橋少佐
昭和10年07月07日(2)所沢機不時着所沢飛行学校;予備下士候補生の一等航空兵加藤高明君、エンジン故障により、西多摩郡殿ヶ谷村共有山林に不時着;主翼と一部を大破も、搭乗者は無事;分解して学校へ輸送
昭和10年07月13日高架線に触れ 陸軍機大破青梅線は立ち往生陸軍航空本部技術部;林三男曹長操縦の九一式戦闘機、着陸の際、飛行場南側の青梅線の高架線に引っかかり転覆、大破;曹長は軽症も、青梅線は変電所故障により立ち往生;一昨年夏に、飛行第五連隊川上敏雄曹長の八八式偵察機が事故を起こした場所
昭和10年07月14日士官校生実地教育飛行第五連隊;士官学校生徒30名、飛行第五連隊で教育を受ける
昭和10年07月16日”空の父”帰らず 飛五へ弔客相次ぐ悲しみに閉づ立川町飛行第五連隊;田中連隊長、歌代少尉操縦の偵察機で離陸後、機体故障から高度300mから急降下、多摩川中洲の高圧電線に抵触、大音響ともに火柱を挙げて墜落;連隊長は機体から投げ出され殉職、少尉は機体の下敷きになり重症;17日に連隊葬
昭和10年07月17日流石武人の父わが子の手当てを拒絶 連隊長の殉職を聞くや飛行第五連隊;歌代中尉、16日朝に殉職;東日・大毎2社から大花束
昭和10年07月18日物いはぬ霊柩二つ 悲し飛五連隊葬立川町に弔旗低し飛行第五連隊;第二中隊格納庫で、連隊葬;牧野侍従、陸軍大臣代理、堀航空本部長、徳川・所沢飛行学校長、大江下志津飛行学校長、井上幾太郎大将ら高官に、地元からは立川町長ら5,000名
昭和10年07月19日(1)航空界の権威浜松飛行学校の柴田中佐 飛行第五連隊長へ飛行第五連隊;連隊長に柴田信一中佐が任命
昭和10年07月19日(2)北海道へ飛行飛行第五連隊;北海道への長距離飛行、18日から準備に
昭和10年07月19日(3)土地買収交渉立川飛行場北部拡張飛行場拡張;近衛師団経理部の石井主計正が砂川村に出張して、交渉開始
昭和10年07月19日(4)立川府道拡張立川北口駅前から西に延びる技術部通り府道の拡張工事;現在の6mを11mに
昭和10年07月19日(5)日電の回答日本電力;連隊長事故による損害を請求せず
昭和10年07月20日北の大空へ飛五の大編隊飛行 あす黎明を期して飛行第五連隊;北海道への大編隊飛行;第一中隊、田中大尉指揮八八式偵察機4機、第二中隊、福澤大尉指揮八八式偵察機4機、第三中隊、原田大尉指揮九一式戦闘機4機;偵察機は、立川−札幌、直行;戦闘機は仙台、青森にて着陸給油
昭和10年07月21日新飛五連隊長飛行第五連隊;新連隊長に補せられた前浜松陸軍飛行学校監事、柴田信一中佐;明日、着任予定
昭和10年07月23日飛五水泳演習飛行第五連隊;青柳プールで下士150名が漕舟、水泳の両演習
昭和10年07月24日(1)辻少将、立川を去る満洲事変当時を回顧して 町民の後援を感謝陸軍航空本部補給部立川支部;辻支部長、少将に昇進し、所沢飛行学校監事に栄転;無天組
昭和10年07月24日(2)除隊兵の就職飛行第五連隊;除隊兵のうち、就職希望の16名の就職を斡旋
昭和10年07月25日防音装置・名ばかり中島製作所の”騒音禍”に 関係町村が排斥運動田無町の中島飛行機製作所;昨年12月の防音装置も、昼夜の隔てなく続く音響と地響きに、会社を非難
昭和10年07月31日(1)柴田中佐着任飛行第五連隊;新連隊長の柴田中佐、30日に立川駅に着;命課伝達式に望み、訓示;その後、挨拶回りに
昭和10年07月31日(2)航空整備充実立川に陸軍航空記述研究所を新設;補給部立川支部は、陸軍航空廠立川支廠に
昭和10年08月01日(1)八月の暦立川地方飛行第五連隊;行事予定
昭和10年08月01日(2)きょう陸軍異動陸軍の異動;辻支部長、所沢校幹事に;所沢校の佐藤大佐、支部長に;総務課長の上條大佐、航空本部付に;飛行第五連隊も第二中隊長福澤大尉ら相当の異動
昭和10年08月01日(3)論功行賞飛五関係飛行第五連隊;満洲事変留守部隊の論功行賞;柴田信一中佐、ほか
昭和10年08月01日(4)中野曹長異動飛行第五連隊;金鵄勲章の無電手中野和雄曹長、所沢飛行学校へ転勤
昭和10年08月01日(5)新しい門標陸軍航空本部補給部立川支部;立川陸軍航空支廠へ改称;新しい門標
昭和10年08月02日(1)莫大な地代を ”多摩荘”は払わない関係地主・府中署へ府中署、谷保村三田章作氏ら同村・立川村の大地主7名を集め、秘密裏に何かを聴取;多摩荘主が肥大を払わない件か
昭和10年08月02日(2)軍民の団欒 ビールで乾杯飛五連隊長新任挨拶飛行第五連隊;柴田新連隊長、中島町長をはじめ町内各官公署代表者30名を将校集会所に招き、着任の挨拶
昭和10年08月02日(3)一段と充実した 飛五の陣容柴田連隊長栄進飛行第五連隊;異動;柴田連隊長進級ほか
昭和10年08月02日(4)佐藤進大佐所沢から立川へ栄転所沢陸軍飛行学校生徒隊長の佐藤進大佐、航空本廠立川支廠長へ
昭和10年08月03日(1)多摩荘調査経営者の態度を多摩荘の地代不払い問題を府中署が調査に
昭和10年08月03日(2)f御機嫌よう航空本部補給部;辻邦助少将、上條大佐とともにあいさつ回り
昭和10年08月03日(3)飛五の異動(続)飛行第五連隊;異動
昭和10年08月03日(4)航空技術研究所航空技術研究所;異動
昭和10年08月03日(5)飛五陣容完備飛行第五連隊;全員集合し、転入者への命課布達式;柴田連隊長より訓示
昭和10年08月04日軍部の名を利用して 赤手数万円を動かす”多摩荘”へ府中署のメス 周囲の人々は大迷惑多摩荘の地代不払い問題;府中署、高幡不動前料亭金雲閣主人進藤直吉に出頭を求める
昭和10年08月06日(1)佐藤大佐立川へ立川航空支廠;新航空支廠長佐藤進大佐、立川へ今日赴任予定
昭和10年08月06日(2)多摩荘の悪辣 巧妙な不正の数々府中署の取調べに暴露多摩荘の地代不払い問題;府中署、高幡不動境内亭金雲閣主人進藤正信を取り調べ;インチキ業の全貌が明白に
昭和10年08月07日(1)全身これ武人 また酒戦の強豪立川航空支廠長佐藤大佐立川航空支廠;新航空支廠長佐藤進大佐、赴任;仙台生まれ、熊本育ち;モ式で操縦徽章持ち
昭和10年08月07日(2)除隊兵の就職飛行第五連隊;除隊兵の就職斡旋、11月除隊の16名求職に
昭和10年08月10日(1)所沢機墜つ操縦の家里大尉殉職所沢飛行学校;偵察機、北多摩郡大和村蔵敷284番地先に墜落、操縦の家里東陽夫大尉殉職;発動機停止からブリルに?
昭和10年08月10日(2)軍用地買上げ換地または離作料を熊川の小作人は要求陸軍航空廠立川支廠;拡張用地の熊川村小作人23名、換地または離作料を交渉
昭和10年08月11日除隊を前に 兵隊さんの就職何でもよい条件で飛行第五連隊;除隊兵求職者16名の就職斡旋;東京市連絡紹介所から2人、不況の就職難を説明
昭和10年08月13日飛五中毒事件飛行第五連隊;兵士60名の中毒事件、茄子のごまよごしが原因?
昭和10年08月25日四千米の上空から 落下傘の放れ業飛行第五連隊機の墜落に 斉藤軍曹の沈着振り 滞空十五分"飛行第五連隊;第三中隊斉藤利三郎軍曹、九一式戦闘機で飛行演習中、村山貯水池上空で機体故障;高度4,000mから落下傘で降下;15分間も滞空"
昭和10年08月27日空の学生立川飛行場での夏季練習中の帝都学生航空連盟の学生、26日で終了;柴田連隊長に挨拶し、引き上げ
昭和10年08月29日飛五機不時着飛行第五連隊;第三中隊斉藤利三郎軍曹、荒蒔中尉、山内曹長と飛行練習中、豪雨により不時着;荒蒔中尉、山内曹長は下志津に、斉藤軍曹は朝霞に;軍曹は24日に落下傘降下したばかり
昭和10年09月01日(1)9月の暦立川地方飛行第五連隊;行事予定
昭和10年09月01日(2)飛五眠病警戒飛行第五連隊;眠病発生により、東京市内への外出を禁止に
昭和10年09月01日(3)故田中少将埋葬飛行第五連隊;前飛行第五連隊隊長田中少将、多摩墓地に埋葬;飛行第五連隊より、篠原副官以下の将校列席
昭和10年09月04日気力のテスト飛五の興味ある訓練飛行第五連隊:連日の長時間搭乗のし通しで、どれほどの困苦に耐えるか;群馬県尾島に野営;第一中隊、第二中隊が、八八式偵察機4台で参加;地上勤務員の総合訓練も兼ね、敵前の設備ない飛行場での苦闘し、気力もテスト;4日夜より、第一中隊が
昭和10年09月06日特別訓練飛行飛行第五連隊;気力テスト特別訓練飛行、5日から開始;第一中隊の八八式偵察機4機、尾島へ
昭和10年09月08日立川航空支廠第二工事きのう地鎮祭立川陸軍航空支廠;格納庫その他の第二期工事、藤田組が99万6,000円で請負い;7日に、地鎮祭会い;佐藤支廠長立会い
昭和10年09月11日飛五猛演習飛行第五連隊;第二期検閲、10日より開始;14機の偵察戦闘機演習
昭和10年09月12日(1)優良職工表彰立川陸軍航空支廠;9名の職工を表彰;佐藤支廠長より発明考案の訓話
昭和10年09月12日(2)多摩荘主の送局一応の取調べ終わって多摩荘経営者、七生村高幡金雲閣の進藤正信、詐欺横領事件;府中署、八王子検事局に送検;被害総額、9万1,000円
昭和10年09月15日飛五の検閲飛行第五連隊;航空本部長検閲、下志津飛行場で、19〜20日に実施予定;参加機12台
昭和10年09月21日(1)飛五機大破飛行第五連隊;第四中隊、千葉吉太郎曹長、九一式戦闘機で着陸の際、地上に激突、逆立ち;機体大破も、層長は無事
昭和10年09月21日(2)ダグラス機陸軍航空技術研究所;東京−新京の往航に成功したダグラス機、21日復航の途に;無着陸の予定
昭和10年09月24日ダグラス機陸軍航空技術研究所;新京−東京の復航、23日午前9時12分、立川に着;太刀洗から立川の間、豪雨みよtり、羽田に不時着;操縦の藤田大尉、立川の地上無電と連絡しつつ、「弱った弱った」を連発も、成功
昭和10年09月25日飛五異動(廿八日付)飛行第五連隊;所沢飛行学校機関学生、操縦学生として分遣
昭和10年10月01日(1)10月の暦立川地方飛行第五連隊;行事予定
昭和10年10月01日(2)機上の柴田連隊長飛行第五連隊;秋田県東雲原を根拠地とした秋田第十七連隊、山形三十二連隊との合同演習;八八式偵察機3機;柴田連隊長の単身演習視察
昭和10年10月01日(3)大空の慰霊祭飛行第五連隊;芝飛行館屋上の航空神社慰霊祭に、八八式偵察機3機、九一式戦闘機3機、原田大尉指揮で飛行
昭和10年10月10日飛五爆撃演習飛行第五連隊;第一大隊、下田大佐指揮で、浜松で八八式偵察機8機による爆撃演習;19日より;第一中隊、第二中隊参加
昭和10年10月11日(1)所沢機不時着 高圧線を切る操縦の関口曹長重傷所沢飛行学校;関口操曹長操縦の軽爆撃機、西多摩郡西多摩村羽上空で試験飛行中、発動機故障から多摩川原に不時着しようとして、八王子市小作変電所間の高圧線に接触し、切断;感電した機体に触れ、重傷を負うも、生命に別状なし;切断送電線が川に入り、多数の魚が感電、浮上
昭和10年10月11日(2)飛五機 暁の偵察飛行第五連隊;中学生発火演習に、八八式偵察機6機が東西両軍に3機ずつ配属
昭和10年10月20日爆撃演習飛行第五連隊;浜松での爆撃演習に、下田少佐指揮の八八式偵察機8機が出発;浜松に安着
昭和10年10月25日皇太后陛下行啓に 輝く”空の軍都”飛行第五連隊の感激 鳥人の猛訓練飛行第五連隊;11月19日の皇太后陛下行啓に、準備;第一中隊長、長田中祐晴;第二中隊長、遠藤操;第三中隊長、原田潔;第四中隊長、佐藤主計
昭和10年10月29日飛五予行演習飛行第五連隊;朝香近衛師団長の台臨を仰ぎ、11月19日の予行演習を実施
昭和10年10月30日気球隊演習千葉気球隊;将校百余名、29日に立川台の上瀧に宿営し、立川飛行場で演習の予定
昭和10年10月31日むさしの千葉気球隊;演習に備え、台の上の民家に2〜3名ずつ割り当て、各家で用意していたが、一人も泊まらず;一言の断りもなく宿営変更は不誠意と憤慨
昭和10年11月01日(1)十一月の暦立川地方飛行第五連隊;行事予定
昭和10年11月01日(2)飛五機参加飛行第五連隊;十四師団秋季演習に参加の、第一中隊の偵察機6機、霞ヶ浦方面に
昭和10年11月03日皇太后陛下行啓 光栄の日に備え 立川の準備拝観者の場所決まる飛行第五連隊;皇太后陛下の行啓に、竹田宮大妃殿下、高松宮妃殿下、東久爾宮妃殿下もお成りの連絡;石川島前に4,000名、同北方松林付近に4,000名、支廠東通用門と豚小屋間に2,000名と拝観場所決まる;石川島前は、午後の拝観は禁止;府中署に拝観の申し込み
昭和10年11月05日”航技”その名ぞ 空都球界の雄”石川島”を退けて立川野球連盟主催(東日後援)のリーグ優勝戦、航技対石川島の二回戦、3日、日野橋球場で;9-2で航技の優勝
昭和10年11月10日(1)皇太后陛下 御出発御予定立川へ行啓飛行第五連隊;10時10分、立川駅着;駅から自動車にて飛行第五連隊将校集会所に着;11時飛行開始、正午終了
昭和10年11月10日(2)日比飛行への祝福 航空神社に額いて 成功を祈る女性”新しき第三路”に幸あれ わが大蔵機に蔭の支援航空神社参詣の2人の美人;「マニラに飛ぶ大蔵機の安泰を」祈願;直接ではないものの、大蔵氏を知る女性;(作業者注、やらせ感満載)
昭和10年11月15日台覧飛行予行飛行第五連隊;皇太后陛下行啓台覧飛行の予行、16日に朝香近衛師団長宮殿下の台覧を仰いで実施に
昭和10年11月16日(1)空の精鋭・無上の輝き 栄えの日・宛らの予行演習 晴れの光栄に勇む ”空中無敵艦隊”輝く十九日を目前に控え きょう朝香宮様台臨;出動機数70余飛行第五連隊;行啓次第
昭和10年11月16日(2)演習飛行次第飛行第五連隊;演習飛行次第;戦偵29機編隊離陸、戦闘機1機高等飛行、八八偵1機空中写真撮影、九一戦5機編隊行動、八八偵1機落下傘投下、編隊集団飛行24機、戦闘機1機高等飛行、偵察機1機高等飛行、九一戦1機高等飛行、八八偵5機低空爆撃、偵3機急降下爆撃、八八偵3機機関銃射撃、九一戦3機機関銃射撃、八八偵3機対九一戦3機空中戦闘、九一戦3機対3機空中戦闘、八八偵1機空陸布板信号通信筒吊取、九一戦1機空陸無線電話、八八偵1機無線電信送受話、九一戦9機編隊着陸
昭和10年11月19日”飛五”の献上飛行第五連隊;皇太后陛下行啓時の献上品;皇太后陛下には、飛行機模型(戦闘機、偵察機各1機)と航空機上糧食;竹田宮大妃殿下、高松宮妃殿下、東久爾宮妃殿下には、金属プロペラ製小刀と航空機上糧食;朝香近衛師団長宮殿下には、模型飛行機;皇太后陛下からは、御紋菓と煙草の下賜
昭和10年11月20日空都の史上輝く一頁 皇太后陛下”飛五”行啓初冬の雨煙る飛行場で 鳥人の妙技を台覧飛行第五連隊;皇太后陛下行啓台覧;藤田大尉のグライダー高等飛行、原田・佐藤量大尉指揮の九一式戦闘機3機対3機の空中攻防、泊・遠藤両大尉指揮の戦闘偵察機に対地攻撃
昭和10年11月21日空の軍都、光栄燦たり きょう皇太后陛下行啓台覧に鳥人勇み 大空に描く”護国譜”飛行第五連隊;皇太后陛下行啓台覧;飛行演習、気球、兵器等を台覧;柴田連隊長、島田気球隊長、徳川飛行学校長以下7高官;注意事項に、飛行機の写真は撮ってはいけません
昭和10年11月23日(1)飛五除隊式飛行第五連隊;満期兵64名中28名の除隊者;うち就職希望者は16名で、就職決定した者は4名
昭和10年11月23日(2)飛五見学飛行第五連隊;所沢飛行学校で勉強中の中華民国武官上尉、○國僑氏;笠井大尉の案内で、飛行第五連隊を見学
昭和10年11月24日むさしの飛行第五連隊;特業検閲の慰労休暇と祭日で3連休;例年の1/3と少ない満期兵に、土産物屋の大こぼし
昭和10年11月27日飛五、十二月行事飛行第五連隊;12月行事の発表
昭和10年11月28日飛行場の拡張に 土地収用法か地主、軍部の買値に不服飛行場北方の三万坪の敷地拡張も、買収交渉決裂;残る手段は土地収用法だが、立川方面では前例なく極力避けるはず
昭和10年11月29日飛五の除隊式例年の三分の一飛行第五連隊;例年の1/3の63名の除隊式
昭和10年12月01日(1)十二月の暦立川地方飛行第五連隊;行事予定
昭和10年12月01日(2)青年学校生の献金西多摩郡西多摩村青年学校島田四郎君、ほか118名;農産物品評会の純売上金10円29銭を、立川憲兵分遣隊へ航空技術研究奨励金として献金
昭和10年12月01日(3)むさしの飛行第五連隊;今日1日の入営者は218名;荒木田特務曹長等、少尉候補生として士官学校入校
昭和10年12月01日(4)高鳴る軍靴の快調きのう駅頭に溢れた 入除隊兵の勇姿八王子駅に除隊兵140名、ほか
昭和10年12月03日陸軍異動飛行第五連隊;左官級、下士官の異動
昭和10年12月04日陸軍異動飛行第五連隊;尉官級の異動
昭和10年12月11日田中大尉赴任飛行第五連隊;田中吉郎大尉、八日市の飛行第三連隊整備隊長に栄転;10日に赴任
昭和10年12月17日(1)立川へ巡視橋本近衛師団長飛行第五連隊;新近衛師団長橋本虎之助中将、立川衛戍地を初度巡視;白髪温容の将軍
昭和10年12月17日(2)欧米空の土産話し航空技術研究所長伊藤少将航空技術研究所;所長伊藤少将、緒方中佐、今川少佐を同行して先般帰朝;土産話
昭和10年12月19日立川の二機 野外飛行に遭難搭乗者生命別状なし飛行第五連隊;18日開始の野外飛行、4機編隊で離陸も、暗黒と密雲のため、直後に2機遭難;手塚特務曹長機(田辺軍曹同乗)、八王子南方の山腹に衝突、曹長は大腿骨折;西ヶ谷少尉機(川上曹長同乗)、山頂付近の松の立木に左翼を接触し大破;事故現場は800mの距離
昭和10年12月22日飛五除隊飛行第五連隊;勤務演習召集者218名、22日に除隊
昭和10年12月26日憧れの大空島田繁正君(19)、石川島飛行機製作所職工から、少年航空兵採用試験に合格;大空の夢から、石川島飛行機製作所職工になり、更に少年航空兵に
昭和10年12月27日飛五御用納め飛行第五連隊;柴田連隊長の営内巡視をもって、26日に御用納め;例年より2日早い
昭和10年12月28日電波の警視庁東村山村萩山の逓信省電波研究所、第一期工事完成