第2版 2014.11.21

立川飛行場戦前史(訪欧機一覧)
訪欧機体名(登録記号) 年月 記事 備考
ブレゲー14
初風(J-KIKU)
東風(J-KIRI)
 
 立川にて撮影の訪欧機とそのクルー。右手奥に飛行第五連隊の格納庫が写っている。
 クルーは、向かって左から、安邊 浩(陸軍航空部から航空局)、篠原春一郎(陸軍航空部検査官付)、河内一彦(朝日新聞)、片桐正平(陸軍航空部検査官付)。
大正14年(1925年)
1月
 元日の朝日新聞紙面にて、欧州訪問連絡飛行が発表される。
大正9年にイタリア機による訪日飛行への応答。

2月
 前年に発注されていたブレゲー14(2機)が船着、立川に輸送されて整備が開始される。
 以降、立川にて飛行準備が行われる。

7月
 16日、山階宮武彦王を立川飛行場に迎えて、命名式。
 22日、代々木練兵場への出発式。

7月
 25日、代々木練兵場を出発。

10月
 最終目的地のローマに到着。
大正15年(1926年)
1月
 クルー、船便にて帰朝。
石川島 R3練習機
青年日本号(J-BEPB)
 
 訪欧から帰朝後に展示された「青年日本」号。
昭和5年(1930年)
10月
 法政大学航空研究会、訪欧飛行(法政大学主催、朝日新聞社後援)を全国発表。
昭和6年(1931年)
3月
 石川島飛行機製作所、訪欧用機(R3練習機)を完成。海防義会から、第十義勇号「青年日本号」(J-BEPB)と命名される。  法政大学性操縦士、立川にて猛練習開始。教官は、熊川良大郎一等飛行士。

5月
 28日、立川の出発式。出発地である羽田(開場前)に向かう。
29日、ローマを目指し、羽田を出発。

8月
 ローマに到着。

10月
 クルー、機体とともに神戸に船着。
三菱雁式高速連絡機
神風(J-BAAI)
 
 立川にて撮影の「神風」号。4月6日の2会目の離陸の際とされ、撮影は朝日新聞社の片桐氏。アサヒグラフより。
昭和12年(1937年)
1月
 元日の朝日新聞紙面にて、「亜欧連絡記録大飛行計画」が発表。

2月
 「神風」と命名さる。

2月
 機体完成。朝日新聞に引き渡される。

3月
 立川を根拠地として、訓練・整備。立川−福岡間の試験飛行なども実施。

4月
 2日、第一回目の立川離陸も、天候不良のため引き返す。
 6日、第二回目の立川離陸。飛行時間94時余にして、ロンドンへ到着。