立川飛行場(航空史跡散策1)

初版 2014.06.08
一版 2017.06.25

 立川飛行場は旧軍時代の引き込み線が多く、その筋のWebページは多い。また、廃墟ファンから見たWebページも少なくない。
 対して、航空史の観点で立川飛行場周辺の歴史散策を取り上げているページを、筆者は知らない。(単発のものなら、該当するものはあるが・・・)
「ないなら」と記したのが、本記事である。

ルートMAP


東地区探訪
写真01 飛行第五連隊正門跡の案内板
 中央線のJR立川駅北口を出ると、ベデストリアンデッキが眼前に拡がり、その向こうに東北へ伸びる欅並木が続いている。その並木降りて、左側を北上する。 「曙橋交差点」を抜けて並木が終わる辺りに多摩信用金庫本店があり、細い通りを挟んだ向かい側に小さな公園がある。 その入り口近くに、「立川市 歴史と文化の散歩道」の案内板がひっそりと建てられている。そこには飛行第五連隊正門跡とある。五連隊の記憶がこれだけというのは、いかにも寂しい。

写真03 飛行第五連隊正門へと続く小道に立つ杉 写真02 飛行第五連隊正門付近の当時の写真
 公園を出て元の並木へ戻れば、背の高いヒマラヤ杉が見える。その下の歩道は旧連隊正門に続く道で、連隊時代は桜並木だった。歩道が終わると、その向こう側が正門であった場所。
 そのまま西へ進み、旧飛行場敷地内に向かえば正面の映画館に突き当たる。上を見上げれば、モノレールの軌道が南北に伸びているが、このモノレール軌道は旧格納庫裏に通っており、映画館は連隊本部建物の前庭のあったあたりである。

写真03 立川小唄記念碑 写真03 立川小唄記念碑 写真03 立川小唄記念碑(裏) 写真03 立川小唄記念碑碑面
 そして、そのヒマラヤ杉を臨む公園に、2017年5月14日、立川小唄の記念碑が建立された。

写真04 タチヒのロゴ 写真05 R-53/R-RM公開時の様子
 モノレールに沿って北へ進む。運がよければ、駐屯地に降りる機体を眺めることができる。
 暫く行けば、左にIkeyaが見えてくる。その入り口近くの信号で、道路の向こう側に渡れば、そこは旧・立川飛行機の工場跡で、今は貸し工場・貸し倉庫になっている。黒い金属柵と生垣にそって北上を続ければ、道は緩やかに右へ折れて、やがて工場らしい建物群が見えはじめる。  2014年4月にタチヒがR-53とR-HMを公開したことは記憶に新しいが、その際は中の工場跡が使用された。その時には、常設展示も検討中とのことであった。将来、この付近で見ることが可能になれば、新たな航空史散策の目玉になってくれよう。


写真03 昭和6年築の大組立工場 写真04 左:昭和3年築の建物、右:昭和6年築の大尾組立工場
 更に北上を続けると、白いビルの奥にまた大きな格納庫のような建て物が姿を見せはじめる。石川島飛行機製作所時代に建てられた大組立工場である。更に歩を進めて白い建物を過ぎれば、道路やモノレール軌道は右に緩くカーブし、視界が開ける。 TACHIHIと大書きされた敷地内への道路の向こうには、さきほどの大組立工場が正面を向けて鎮座している。この大組立工場は貸し倉庫として利用されており、その案内では昭和6(1931)年1月築とあった。竣工後は八八式偵察機の組み立てが行われていた絵葉書が残されている。
 モノレールの高松駅へ登って、途中の階段からも眺めてみれば、大組立工場の隣(向かって左)にΛΛ屋根の建物が見える。昭和3年築の工場建物で、石川島飛行機の立川設置第一号工場である。

写真05 立飛企業発症の碑と給水塔
 大組立工場に別れを告げて、道なりに更に北上(地図上は、北東に進む)すると、直ぐに右手に白い給水等が見えてくる。5階からなる立派なもので、昭和13年の築らしい。
 それを過ぎると、右手の工場群敷地が終わる。その敷地の角に立飛企業発祥碑が置かれている。柵越しで若干見難いが、石川島飛行機製作所から立川飛行機への変遷が記されている。

写真02 飛行第五連隊正門へと続く小道に立つ杉
 さて、次を目指して、旧飛行場内に進もう。記念碑から少し戻って「高松駅南」の交差点から真西に歩く。「自治大学」の交差点を過ぎれば、右手は自治大学。それを過ぎれば中央緑地帯のある大きな通りに突き当たる。突き当たりの向こうは陸上自衛隊の立川駐屯地である。この辺りは、旧飛行場の敷地内である。  この大きな通りを、駐屯地に沿って1.2kmほど北上を続けると、「砂川五叉路」に出る。そこを西(左)に折れると、折れた直後の左手、柵の向こう側に開けた空き地が見える。  東地区の開発から取り残された区域で、米軍駐留時代の滑走路の北端になっている。普段は入れないが、2013年3月末の「NPO立航博 懐かしき昭和の力 第2弾・原動機の集い」は、ここで開催された。写真は、その際の撮影。



西へ
 左手に駐車場越しの駐屯地を眺めつつ西進して、駐屯地入口、昭和記念公園の砂川口を過ぎると、「大山団地東」交差点に出る。左に折れて道なりに進み「大山小学校入口」を抜けて「大山団地西」を左折。突き当ればそこは旧立川飛行場西地区。まだ再開発が行われていないジャングル状態の区域である。それにそって西へ道なりに進めば、やがて道は南へ折れる。ようやく、飛行場西側である。この区分けは旧陸軍時代から変わっていない。陸軍航空本部技術部の敷地である。


西地区探訪(陸軍航空工廠の碑、航空工廠門跡
写真31 陸軍航空工廠の碑 写真32 陸軍航空工廠の碑 碑文
 うっそうと茂る森を左手に見つつ道なりに1.2kmほど南下を続けると、左にランドリー工場で使用されていた大煙突が見え始める。 「中神第二アパート前」のT字路に着く前に、道路の向こう側に、一般家屋に溶け込むように(そう目立つことなく)、陸軍航空工廠の碑がある。 平成2年に建立されたものである。一般民家の玄関先と言っても過言ではないので、迷惑をおかけしないようにしたい。

写真33 航空支廠の門?
 南下してきた道が突き当ったら、クランク型に右・左と折れて、小学校を右手に見ながら進めば青梅線。左折して青梅線を右手に見て進めば、青梅線中神駅である。駅前を通りすぎて立川駅方面に進めば、また飛行場跡地にぶつかる。その近くにはコンクリート製の小さめの門が残っている。陸軍航空工廠の通用門か何かの跡であろう。


南地区探訪(踏み切り、航空神社?)
写真41 航空支庁西門前踏切 写真42 航空支庁前踏切
 飛行場跡地に沿って左折し、青梅線を越えたら線路沿いに東へ、立川駅方面へ進む。暫く行けば「西立川駅」。この駅は、戦前期は今の位置より東寄りにあって、後述する「航空支庁西門前踏切」がホームの西端、「航空支庁前踏切」がホームの東端であった。
 さて、その「西立川駅」を過ぎれば、ヤマダ電機にぶつかるので左折。すぐ踏み切りが見えてくる。これが航空支庁西門前踏切である。航空廠立川支廠が正式名称であるが、何かの間違いから「支庁」になってしまったようだ。
 線路を越えて、大きな通りに出る。通りの向こうは昭和記念公園、旧飛行場跡地でもある。 東に進み残堀川を越えると、線路の向こうにヤマタネの倉庫が見えてくる。それに向かってT字路を入ると見えくるのが航空支庁前踏切。旧航空廠の正門前の踏み切りである。航空支廠の痕跡は、この2つの踏切だけである。

写真88 航空神社とされる祠
 昭和記念公園沿いに東進を続け、「昭和記念公園立川口南」交差点で、公園とは反対側に渡る。そのまま進むと、右に入る細い道が出てくる。そこを入って20〜30mもあるけば、右に駐車場、その奥に小さな祠がある。航空神社とされている祠で、位置的にも戦前の航空神社があった辺りである。
 一般民家の駐車場なので、こちらも迷惑をおかけしないようにしたい


再び、駅にて
写真99 赤川Bonze氏による「風にむかって」正面 写真98 赤川Bonze氏による「風にむかって」横面
 元の大きな通りに戻って東へ歩けば、「昭和記念公園あけぼの口」交差点。モノレール軌道も見えており、もう立川駅は目の前。 ベデストリアンデッキに上がり、立川モノレールの北立川駅を過ぎると、飛行機の模型を持った少年の像が見えてくる。これが散策最後のビューポイント、銅板造形作家の赤川Bonze氏による「風にむかって」である。2001年に設置されたもので、持っている模型飛行機は、ミスビードル号と同じ、ベランカ・スカイロケットに見える。
 ようやく、出発地に帰ってきた。

ルート距離について
 Googleでルート設定すると、前述した散策は総距離11.6km、徒歩で2時間11分と出てきた。ゆっくりめに歩けば3時間強だろう。 ルート上、食事ができる店も皆無でははいが、弁当・飲み物持参で臨みたい。沿線にコンビニは幾つかあるので、そこでの補給も可能。
 また、ルートのほとんどは木陰がない炎天下の行軍になるので、その辺の用意もしておきたい。季節は、やはり春か初夏がお薦め。 駐屯地にそって北上する道は桜並木になっており、その時期が最高である。


追補
 今回のルートでは取り上げていないが、「立川市役所 歴史民俗資料館」という博物館がある。西立川から南西に800mほど行ったところにあり、飛行場の歴史を模型や写真で紹介しているらしい。筆者はまだ行ったことがないこと、往復1.5kmの増であること、(付近の道の分かりにくさは知っているので)道が分かりにくいことから、今回には含めなかった。